我慢も、期待もしない関係

先月、この短編集の舞台になった南米・アルゼンチンに、実際に私も足を運んでみた。2週間程度の滞在だったし、現地の人と混みいった恋愛の話をしたわけではないので、本当のところはわからない。だけど、『不倫と南米』の世界観は、この地でなら確かにありうるなという実感をつかんだ。

日本にいると、つい「意味」を考えてしまう。生きている意味、この人と一緒にいる意味、私がこの仕事をしている意味……それは決して間違ってはいないのだけど、アルゼンチンを旅していると、「意味」なんかなくても、ただそこに「ある」ことが、すでに圧倒的なことなのだとわかる。
すべてを濁流の中に飲み込むのではないかという勢いで落ちていく滝、何万年分もの雪が固まって厚い氷となった氷河、天を突き刺すようにそびえている山々。もうスケールが違って、すべてが、なんか、でかい。あまりにも自然の規模がでかいので、自分と、隣で草を食んでいるグアナコ(アルパカではないんだけど、まあアルパカみたいな草食動物)との区別が曖昧になる。
「意味」なんてなくても、未来があるのかわからなくても、ただそこに好きだという気持ちが「ある」だけでいいのだ、という気分になる。

見返りを求めない恋愛というと、相手に無限に尽くして自分は我慢を続ける聖母のようなものを想像してしまいがちなのだけど、そういうのとも違う。
『不倫と南米』では、相手の気持ちと、自分の気持ちがたまたま重なったところを、じーっと、淡々と見つめている。自分に何かを強いることなく、相手に期待もしない。なかなかできることではないのかもしれないけど、だからこそ、私はこの小説の世界観は尊いなあと思うのだ。

不倫だから云々、正式なパートナー同士だから云々という話ではなく、見返りを期待しない、でも自分を犠牲にもしない。恋愛をする上でも結婚生活を送る上でも、こういう態度でいるのが難しいと感じる女性がいたら……南米の雄大な自然を思い浮かべながら、ぜひ『不倫と南米』を読んでみてほしい。