仕事を頑張っている女性、恋愛に夢中な女性、育児を立派にこなしている女性……本屋で、あるいはウェブメディアで「女性」に関する記事を読んでいると、キラキラした彼女らに勇気づけられるとともに、ちょっとだけ食傷気味になってしまうのは私だけでしょうか。
みなさんが素敵にご活躍されているのは大変喜ばしいことなのですが、ふと自分のことを振り返ってみると、仕事は良くも悪くもといった具合だし、恋愛だっていつもアドレナリン出まくってるわけじゃないし、あと私の場合は子供がいません。だからなんというか、嫌味でも僻みでもなく、「けっこうなことですわ……」とナナメ目線で見てから雑誌のページをパタンと閉じてしまうんですよね。私の性格が悪いだけ?
キラキラしていないと、世間から爪弾きにされる
「恋人に会うために、飛行機のファーストクラスに乗ってイスタンブールに向かう自分を、とてもかっこいいと思ったの」……といっていたのは確か作家の林真理子さんで、なるほどそりゃかっこいいや!と私も共感を覚えたものです。
バリバリ働いてキャリアアップして、たくさんお金を稼いで、うっとりするような豪華ホテルに泊まったり高級店で食事をしたりする。料理の腕や外見を磨いて、一流企業に勤める優しい旦那様をゲットする。子供が生まれたら、仕事と子育てをしっかり両立して、良き妻であり母であり続ける。昨今はここまでわかりやすい「キラキラした女性」はあまり見かけなくなったような気もしますが、根底に流れる通奏低音は同じで、そのラインから逸脱すると世間から爪弾きにされたような気分になります。
男性だって似たような構造はあると思うのですが、女性の場合はその傾向がより顕著です。
理由はいろいろ考えられますが、個人的にはAV監督の二村ヒトシさんの著書『なぜあなたは愛してくれない人を好きになるのか』のなかにあった考察がしっくり来ているんですよね。
男性の場合、漫画や映画のなかに「アウトロー系ヒーロー」という、正統派ヒーローとは異なるロールモデルがあって、ギャンブル漬けになってみたりゲームに狂って廃人になってみたり働かずにニートになったりしても、「そんなアウトローな俺も、かっこよくない?」という自己肯定ができるらしいのです。いわれてみれば確かに、女性の場合は「廃人の私も、かわいくない?クールじゃない?」っていう価値観はあまり共有されていないですよね。私は好きですけどね、廃人女子。
仕事・恋愛(と結婚)・育児というのは日本社会において他者からの承認を得やすい三種の神器のようなもので、我々はこれを求めて日々地の底、海の底を這いずり回っておりますが、やっぱりこれらのアイテムがいまいち合わないというか、神器を神器とかんじられない人もいるわけで。私などはその典型ですが、では我々は指をくわえて、神器を手に入れキラキラしている人たちを遠巻きに見つめているしかないのでしょうか。
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