「そんな人やめときなよ」と言われるだろうけど、わたしは分かる『愛がなんだ』

あなたに好かれるようなこと何もしてない

男女の画像 Paul Proshin

もうとっくの昔の話にはなるのだが、私のことを好きだという男性がいて、「なんで私なの?」「だって君は、女の子の知り合いが少ないよね? 少ない選択肢のなかで、男の影がなくて簡単そうな私を選んだだけじゃないの?」「視野、狭いんじゃない?」「別に私じゃなきゃいけない理由なんてないじゃん。私は全然うれしくない」「友達のままのほうがよかった」「私、あなたに好かれるようなこと何もしてないのに」というようなことをさんざんに言ってしまったときがあった。

それ以来、会ってもいないのだから、顔も薄ぼんやりとしか覚えていない。それくらい昔の話で、相手の男性も、もうきっと私のことを同じくらい忘れてしまっているのだろうと思う。
けれど、私はあの時、かなりひどいことを言ってしまったんだなあ、と、先日『愛がなんだ』を見たあと、電車に乗りながら薄ぼんやりと思い出していた。
映画中盤、マモちゃんがテルコに対して「俺なんかを好きになる理由なんかないじゃん」というようなセリフを言うシーンがあり、私はその一言に対してひどく傷ついていたのだ。

汗が一気に引きそうになるくらい、救いようがない。きっとどれだけ好きなのかを説明したところで、この人に気持ちが届くどころか、わかってもらえることもない。好きな気持ちを込めた行動、一緒に過ごした時間も、まったく意味がなかった。
そう思うと、絶望的に悲しくなる。少なくとも、2、3日は自分の身の回りと重ねて、2人の関係性について考えるくらいには。「どうしたら、テルコは幸せになれるんだろうか」と、架空の人物に対して幸せを願うくらいには。
自分の記憶を掘り返してみると、同じようなこと、いや、それ以上のことを言ってしまっているのに、テルコと同じくらい深く傷ついていた。

この映画のあらすじとしては、主人公のテルコがマモちゃんに出会い、仕事も自分自身すらも投げ出してしまうくらい好きになるのに、まったくこちらを振り向いてくれない、という話だ。おまけに、テルコの親友の葉子には、仲原という使いっぱしりのような下僕のような、セフレにすらなれない男が周辺にいたりする。
主な登場人物はこの4人で、ストーリーが進むにつれて、テルコの片想いがどんどんエスカレートしていく。最後の最後まで、大盛り上がりすることもなく、淡々と2時間だけが過ぎ、登場人物たちの感情が徐々に移り変わっていく。退屈かもしれない。たぶん、全員に勧められる作品ではない。けれど私にとっては、傷だらけになりはしたが、とてもいい作品だったように思う。

客観的に見れば、主な登場人物全員に対して「そんな相手、やめておけばいいのに」と冷静に言うことができる。そして、きっと私はマモちゃんやマモちゃんみたいな人を好きになることはない。むしろ、ちょっと嫌いなタイプだったりする。
でも、なぜだろう。不思議と4人全員に感情移入ができてしまうのだ。