悪いことじゃない。生きやすい環境を選んでいい

 もともと無頓着といえばそれまでなのだけれど、私の容姿や女性性が他者からどう思われているかという興味関心がすっぽり抜け落ちてきているように思う。
もちろん、コンプレックスまみれな自分の容姿を好きになれる日が来ることはないだろうし、控えめで何事に対しても男性ウケのよい女性になる日もないだろう。改心することもないし、そのような方向性を目指すことも、きっとない。けど、どうでもよくなってきたというか、昔ほどは気にならなくなってきている。

 ちょっと前までは、容姿にコンプレックスを抱きつつも、決して女性らしくはない私に対して、「ブス」だの「そんなんじゃ結婚できない」だの「お前のこと抱けない」だの「裸になったお前が目の前にいても、勃たない」だの、小馬鹿にして笑いをとる男性が必ず周りにいて、私も同じように笑っていた。特に、大学時代は自分が馬鹿にされるのは仕方がなく、当たり前のように感じていたと思う。少しの嫌悪を感じて傷つきながらも、怒ることも疑問に思うこともなかった。
けれど、社会人になって人間関係を自由に選べるようになって、私はそういう人とすべて縁を切った。というか、切れた。 私のことを馬鹿にしていた人は、結局馬鹿にできる人であれば誰でもよくて、私個人に興味はない。時間の流れとともに縁が切れてしまうのも自然なことだ。

 そうすると、人にどんなことを思われても気にならなくなる。以前までは「どんなことを言われるんだろう」と少なからず考えていたように思う。けど、今周囲にいる人は私の容姿について、女性性について、馬鹿にすることもない。生き方や考え方について何か言われることもない。
私という存在を丸ごと肯定してくれる人に囲まれるようになって、他者からの評価は多様であることを改めて知ったし、「こうなるべき」「こう考えるのが普通だ」を押し付けたり求めたりしない。

 私は、人との縁をよく切り捨ててしまう。それがどんなに昔からの知り合いであっても、「もうきっと、友達でいられないんだろうなあ」と思うと、連絡を取らなくったりする。 もう人にどう思われてもいい。私にとっては直接会って、話をしたことがすべてだからだ。

 そういう自分が、間違っているのかな、とか冷めているのかな、とか思っていたのだけれど、人との関係性や、生きやすい環境を自ら選んでいくことってとても大切で、案外悪いことをしているわけではないのかな、なんて今になって思っている。

Text/あたそ

次回は<「就活しないと終わる」「最低3年は勤めるべき」そんな都市伝説に振り回されるな>です。
「就職活動しないとまともな職には就けない」「入社3年は辞めないほうがいい」といった、会社勤めに関する様々なアドバイスがありますが、あたそさんに言わせればそんなものは都市伝説。謎の習わしに反発してきた現在の心境は。

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