たとえ正しくなくても、自分さえ後悔しなければ

 20代のほんの数年を、“不倫という恋愛”で過ごしていると、「若いのに時間を無駄にしちゃったね」という人が必ず現れる。“そういう恋愛”をしたときの気持ちの揺れ動きは、すべて「時間の無駄」という一言で片づけられてしまう。恋愛のゴールは結婚なのに、そこに向かって走っても意味がないから。2番目で、決して1番にはなれないから。自業自得で、男も女も馬鹿で、みたいな。そう、その通りなんだけど。
でも本当に無駄なことなんだろうか、と私は思う。全部が全部無駄になっていくことって、あるんだろうか。

 人はわかっているのにどうしても誤ってしまうことや自分だけが正しいと思い込みたいときがあって、彼女にとっては、今がそういうときなんだと思う。だから私は肯定も否定もしない。早く自分の過ちに気が付けばいい。後悔だって、思う存分にすればいい。でも、時間の無駄だったなんて思って欲しくない。

 不倫以前に恋愛をほとんどしてこなかった私は、果たして時間をどれだけ無駄にしてしまっているのだろう。“一人にならないための恋愛”を放棄してしまっている私が本当に孤独になってしまったら、きっと何も残っていないかもしれない。
自分の若さや容姿に価値がないと思っていても、誰もそばに置かず、人との付き合いがすべて私のなかを通り過ぎてしまうような関係ばかりを持っていることに、いつの日かひどく後悔するときがくるのだろうか。

 恋愛を無駄にしている彼女と、若さを無駄にしている私。どちらも正しくないのかもしれない。でも、大切なのは人から見た正しさだけが正義じゃないってこと。絶対に何か間違ってはいるんだろうけど、別に正しくなくてもいい。自分さえ後悔しなければ。

 私は彼女の恋の仕方が間違っていると思っているけれど、肯定も否定もしない。そして、自分が間違っていると自覚しながらも、その間違いを選び続ける彼女を軽蔑したり、あざ笑ったりは決してしないでいたい。

 私は正しくない彼女をずっと遠くの方で見つめ続けているのだと思う。

Text/あたそ

あたそさん、初の書籍!

あたそさん初の書籍『女を忘れるといいぞ』が7月7日に発売!
女性であることになぜか劣等感が…という、笑いを交えたエッセイです!

次回は<私たちが触れたのは一回だけ。恋愛感情のない大切な相手からの好意>です。
どうして私だったのか?好意を示されても応えられなかった感情は、やがて、時と人が解決してくれるのでしょうか?