門限は何時だった?元ヤンキーの彼氏に「門限は21時」と決められて

毎週火曜日はわたしが自由になる日です。というのも、離婚した元夫が経営するバーの定休日で出勤がないために、8歳になる息子の食事からお風呂、学校の宿題の監督、寝かしつけ、さらには翌朝の学校の準備と登校の送り出しまでの面倒を代わってくれることになっている。なのでわたしはその日は、女友達と食事をしたり行きつけのバーを回ったり恋人とデートをしたりと好きな時間まで好きに過ごせる、いわば「門限なし」なのが毎週火曜日なのです。

もっとも火曜日以外であっても、元夫に頼めばバーの出勤前に食事やお風呂なんかはやってくれる。最近では息子がひとりで留守番もこなせるようになった上にケータイを持たせてわたしに連絡が取れる環境にしてあるので、だいたいいつ何時でも遊びに行くことが可能なのですが、それとは別に門限がないという解放感はちょっと特別で、さんざ飲んで朝方になっても、つい「もう一軒行っちゃおうかな」となる。「さっさと帰れよ!」と思いつつ食べるしんぱち食堂の500円の朝定食のおいしさよ。そして酩酊して見上げる朝焼けの空の美しさよ。

というわけでようやくわたしは、産前に謳歌していた「門限がない」という状態を、週に一度といえども取り戻したわけですが、ふと思い返せばわたしの人生は、そのターンターンで門限廃止を訴えて闘ってきた人生であった。

初めての門限は高校時代

最初にわたしに門限を定めたのは母親で、その裏には父親の意向があったことは間違いないけれども、とにかくふたりとも「女の子が、外が暗くなってもふらふらと出歩いているのはよくない」というまっとうな価値観の持ち主で、ゆえに高校時代の門限は20時かそこらだった。度々破っては叱られたり、たまに寝たふりをして二階にあった自室の窓からこっそり抜け出していたりしてうまく取り繕ってやってきたものの、ある時、面倒になってしまって家出することにした。友達の執り成しもあって一週間くらいで帰宅したのだけど、家に帰る条件が「門限を緩くすること」だったので以降門限は、終電で帰ってこられる時間となった。ちなみに親が「鉄砲玉だから仕方ない」と溜息をついていた。