なぜ「自分ができるんだから、他人も簡単にできるだろう」と思ってしまうのか

初めて自覚した自分の体力

体力ある女性のイメージ画像
Denys Nevozhai

人間を始めてからもう長い年月が経過しているのに、「どうやら私は人よりも体力があるらしい」ということに、今年になってからようやく気がついた。

振り返ってみると、確かにかなり元気だった。毎年ライターとして参加しているフジロックでは朝から晩まで働きながら、どのスタッフよりも酒を飲みながら遊んでいる気がする。バリ島から日本に帰ったときは深夜便で気絶したように爆睡して朝9時に成田空港に着き、昼過ぎから友達と上野で記憶がなくなるくらい酒を飲んでいた。普段まったく運動をしない癖に突然走りたくなって5キロくらいサッと走ることがあるのだが、大体30分くらい完走するし筋肉痛になることもない。元気だ、かなり元気である。

「人より体力があるようだ」という事実が発覚してから自分の生活を見直してみると、ぼーっとするとか横になって何もしないという時間が一切ないという発見があった。休みの時間みたいなものが私にはまったく必要がなく、常に何かをし続けている。ソファに座っているときは常にスマホでSNSや記事などをチェックしているし何も考えたくないときはウェブ漫画を読んだりしている。「疲れたな」とかも感じない。そういう性質なのだと思う。

ついでに言えば、「忙しいな」「時間がないな」とも思ったことがない。私は人より元気なうえに、暇で時間を持て余しているようだ。今の会社だって毎月30時間くらいは残業しているし、副業として文章を書いたりもしている。一人暮らしなので家事もそこそこにやりながら飼育している鳥と遊んで、映画を観たり読書をしたり、美術館やギャラリーをハシゴしたり、友達と酒を飲んだりしている。「やることがないな」「暇だな」と思ったこともここ最近はないけれど、なんとなく退屈で時間を持て余しているような感覚がずっとある。

そうか、私は人よりも元気で体力があるのか。そう思うと、過去のあらゆる出来事に合点がいく。例えば、大学生のとき「お金がない」と常に言っていた友達は週4しかバイトをしていなくて、そんなに困っているなら睡眠時間を削ってでも働けばいいのにと思っていた。友だちと遊びの予定を立てていて「この日まで旅行だからしばらく疲れているからその後にしたい」という発言を聞いたときも、言っている意味がきちんと理解できなかった気がする。自分が好きでやっていることに、疲労って普通は伴うのだろうか? と当時の私は割と本気でそう思っていた。

でもそれは周りがおかしいのではなく、週7でバイトを掛け持ちしながら月200時間くらい働いたり、1泊3日でロンドン旅行をしたあとそのまま出社してぶっ通しで働いたりできる私がおかしいだけだったのだ。