自分ができること=他人もできるとは限らない
私は、私みたいな人間ができることは周囲の人間でも簡単にできると思っている節がある。なんで、この人はこんなに簡単なことができないのか? できないのではなく、やる気がないだけなんじゃないか? 言い訳をしたいだけで、怠けているのではないか? こんなに出来損ないの私でもできたんだから、あなたにとってはなんでもないことなのではないか? もちろん誰かを否定したりはしないし、口や態度には出ていないはずだ。でも、わずかながらに納得のできない部分がどうしてもある。疑念がまったくないと言えば嘘になる。気持ちに余裕がなくなってくると、すぐ自分にしかない物差しで他人を見てしまう。
でも、かなり傲慢なんですよね。「自分にできることなら相手にもできるだろう」と思うことそのもの自体が。例えば、私は車の運転や計算が大の苦手なのだが、「どうしてできないのか?」と尋ねられても「どうしてもできないから」としか答えられない。なんでだろう、訳もなく苦手なことなんて私には山ほどある。団体行動や他人を慮ること、細かい作業なども私にはできなくて、そこに何か決定的な理由があるわけではない。どうしてもできない。何度か努力をしてみたものの、自分には合わない。それは私の持って生まれた性質や個性によるものなのだと思う。
私と同じくらい他者にも苦手なこと・できないことがあって、それも性質や個性のひとつで、そこに何か大きな理由がある訳ではないのだ。
どうして、こんなに簡単なことがわからなかったのだろう。今ならそう思う。でも、人が何かのものさしを持つとき、必ず自分が基準となる。人や社会との関わりのなかで、自分を他者と比較して、価値観や基準もどんどん変わっていくのだと思う。
でも、視野が狭くなると、どうしても自分を基準にして物事を考え始めてしまう。気持ちに余裕がなくなってくると、人のできないことばかりを注視して勝手に失望してしまう。そうやって周囲の人を責め立てたくなる気持ちがあるのは無意識のうちに期待をしてしまっている一面もあるが、元を辿れば「周りの人間は絶対に私よりも優れている」「私は人よりも劣っている」という自分に対する評価の低さが原因であって、もっと自分に自信を持てたら失われていくものであるような気がする。
人ができないのではなく、私ができてしまっただけ。優れているだけ。才能があるだけ。ものの見方を変えて、そんな風に考えることができるようになれば、もっと色んなことが許せるようになるのだろうな。そんなことを考えながら、自分に自信を持つにはどうすればいいだろうか? と考える。
体力も時間も気力もあって、なんとか自分ひとりでやっていけるだけの生活力はあって、本当はそれだけで十分なはずなのに、どうして私はこんなにも自分に自信がないのだろう。自分の欠点や嫌なところにばかり目が行くのだろう。自分が基準で当たり前だからこそ、私は私が見えなくなっている。
TEXT/あたそ
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