自分の人生に決断力、責任、自由があれば、どこにだって進める

本の制作にあたってインタビューをしたり、発表してから友だちや知り合いと結婚に関して話すことが異様に増えた。そこで気づいたのは、結婚についてどちらでもいいと思っていて相手のステータス(未婚/既婚/離婚など)をまったく気にしない私ですら、自分の周囲にいる女性は「結婚をして子どもを産みたいもの」だとある程度は認識していたということだ。

雑談のなかで、わざわざ結婚・出産の話を持ち出したりしない。自分の価値観を押し付けようだなんて思わない。でも例えば、年上の未婚女性に結婚観について積極的には聞けないし、私も私で特に職場では「結婚したくて子どもが欲しい女性」としての振る舞いをする。それが無難で波風を立てない処世術であり、普通の顔した一般的な大人の姿だと思っていたから。

「何歳で結婚したい?」「子どもは何人欲しい?」という話は小学生くらいの頃からの恋バナの一種として消化されてきたが、それ以上踏み込んだ話をする機会は滅多にない。高確率で自分の苗字が変わってしまうこと、夫婦での価値観の相違や無理解への解消方法、出産をすることで仕事をセーブしなければならないこと、ほとんど女性が家事を請け負わなくてはならないこと、自分の生い立ちが影響するもの。人生や他者の人格形成に関わるところであるからこそ、とても重要で語り尽くせない。本来であれば、もっと踏み込んで話をするべきだったし、多様な意見や考え方を知っておくべきだった。今回色んな人とじっくり話をしてみてより強くそう思うようになった。

結婚観について話を聞くなかで、多種多様で誰一人同じ価値観の人はいなかった。人生や生活、すべての選択が同様にその人固有のものであり、その人の人格を作り出しているのだと思う。結婚だけではなく、あらゆることはただの選択の連続で決まっていく。人と比べたときに何かが多かったり足りなかったり、あったりなかったり、増えたり減ったり。そういうことで、人の価値は決まらない。誰かの人生を否定できる理由にはならない。

未来のことはわからないからこそ、怖くて不安になることもある。でも、きっとどんな選択をしても私は後悔しない気がする。結婚しない道を選んだとして、不安がない訳ではないけれど、できた本を読み返していると、そんな気がしている。自分の人生を自分で選べるだけの決断力、責任、自由があれば、私はどこにだって進めるのだと思う。

Text/あたそ