先日、映画『エゴイスト』を見た。しばらくしてから映画が好きな友達と飲んだとき、雑談のひとつとして「この前、『エゴイスト』を見たんだよね」という話をしたら、「最近、そういう作品流行ってるの?」と聞かれて、「そうかもねー」とかなんとか、私は答えた気がする。あのときはただのなんでもないやりとりの一環だったし、そこで突っ込んで持論を語るべき空気ではなかったので流してしまったが、自分の受け答えは正しくなかった。今更、モヤモヤした気持ちが募っている。なので、その解答を今回はつらつらと書いていこうと思う。
映画は人の人生そのもの
私は映画が好きだ。初めて映画館で見た『遠い海から来たCOO』や幼馴染の家で何度も見た『ピーターパン』、そしてつい2日前に見たばかりの『Everything Everywhere All At Once』まで。忙しいときはなかなか時間が取れないこともあるけれど、私の生活のすぐそばには映画が必ずあった。仕事で落ち込んでいるとき、人との関係がうまくいかないとき、嬉しいことやおめでたいことがあったとき、私は映画を観た。特に映画館で見る映画は格別だ。つまらない作品も眠くて仕方のない作品も何本も何十本も見て、そしてたまに言葉では言い表せないような素晴らしい作品に出会う。更に映画そのものに魅力を感じ、特にこのコロナ禍では何かに憑りつかれたように見入っていた。
私は、映画は人の人生そのものだと思っている。それは、原作者や監督、俳優、関係者も人生をかけてひとつの作品を世に出しているという意味でもそうなのだが、作品自体が誰かの人生なのだと思っている。長い人生のほんの一部の生活を切り取り、その作品の世界の外側から2時間をかけて眺めている。そういう感覚がずっと私のなかにはある。
映像を通して理解することができる
私は私の人生しか生きられないし、いくつもの生活を経験することは誰であろうと平等に不可能であるが、他者に対して理解を深めることができる。人が何を考え、どんな境遇に立ち、どんな問題を抱えているのか。何を信じて大切にし、こだわりがあるのか。そういう人の一部を、映画を通じて知ることができる。
例えば、75歳の桃子の孤独な生活を描いた『おらおらでひとりいぐも』、飼い主が留守中のペットたちの様子が愉快な『ペット』、インド・シク教総本山の黄金寺での無料食堂での舞台裏を知ることのできる『聖者たちの食卓』、戦争捕虜で結成されたダンスチームが物語の中心となる『スイング・キッズ』。どれも私の大好きな作品であるが、私は75歳でも動物でもシク教徒でもなければ戦争も経験していない。だから、本質的な部分で共感し、理解するのは不可能だろう。それでも、主人公や登場人物は、どんな人物なのだろうか。どこが自分と似ていて、まったく異なっているのか。映像を通じてその一面を想像し、理解することはできる。
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