森高千里の『私がオバさんになっても』って、いま聞くとどう思う?

先日、夫婦で宅飲みしていた際のことでした。リビングに置いてあるテレビでは、懐かしのヒット曲100みたいな番組が流れていて、ほぼ同世代で、育ってきたカルチャーがそこそこ被っている夫とわたしは「懐かしい」だとか「このグループのメンバーで、誰が好きだった?」などと、ぺちゃくちゃしゃべりながら観ていたのですが、途中、森高千里の『私がオバさんになっても』が流れた際、夫がこう尋ねたのです。「この歌、いま聞くとどう思う?」と。

「え。今すぐにその男とは別れたほうがいいでしょ。オバさんになったら、若い子に乗り換えちゃうかもって、不安に思わせるような男、ヤバないか。付き合い続けていいことなんてないし」と即答したところ、夫は藪をつついて蛇を出しちまったという顔でさっさと話題を切りあげてしまったのですが、確かに曲の中で「女盛り」と歌われている19歳だった頃のわたしは、オバさんになった暁には、自分がどうなるのかさっぱりわかっていなかった。本当に派手な水着は着れないのか、ミニスカートも履けないのか。

実際に46歳になったら…

が、実際46歳のオバさんになったいま、ミニスカは余裕で履いているし、リゾート地では開放的になりたいのでビキニを着る。でも、子どもをプールに連れていったときは、ラッシュガードにレギンスを履きます。それは、若い子に負けるからではなく、単に日焼けをしたくないから。

それを「オバさん」ゆえの変化だとすれば、他にもある。例えば、徹夜で遊んだりはできなくなりました。いや、正しくいうとできないわけではなく、翌日に響くからしたくない。家族で遊園地に行っても「ママはここで見てるから、パパと乗ってきな」という。子どもの頃は、ライドに乗らずに待っている母を見て、「なんでママだけ乗らないの? お金がかかるから?」といつも心を痛めていたけれど、オバさんになった今ならわかる。子ども向けのライドに乗ってもさして楽しめないから、ただ単に乗る気になれなかっただけだということを。