ネットの配線ができない夫。できないことがあると他人を許しやすくなる

誰しも得手不得手というものがあると思います。私の場合は料理をするのは好きだし、けっこう美味しいご飯が作れていると思うのだけど、とにかく整理整頓が苦手です。自宅の床に宅配ピザのチラシが落ちていることに気が付いても、どうしてか億劫で拾う気になれない。別に落ちていたって死ぬわけじゃないし、と考えて放置するものの、やはり床に物が落ちているのは気になる……そうして3日ほど我慢して辟易したところで、ようやくのこと拾ってゴミ箱に投げ入れるという始末なのです。

二十代の頃は、とにかく飲み途中のペットボトルのキャップをしっかりと締めるのが苦手でした。ペットボトルの口にキャップを乗せることはできるし、二周くらいは回すことが出来るのだけど、どうしても最後までは回し切れない。なぜ回し切れないのかというと、単純に面倒だからです。当時同棲していた男性には「うっかり倒したり、捨てようと思って持ち上げたときに、こぼしてしまうことがあるから、ペットボトルのキャップは最後まで締めてほしい」と苦言を呈されたのですが、当時のわたしは、他人の意見を尊重することを「日和ること=悪」だと思っていたので、「うっざ。文句あるなら自分で締めればいいじゃん!」と突っぱねていました。なんてひどい。

ところが、いつ何がきっかけで、どうしてかはわからないけれど、現在の私は「ペットボトルのキャップを締められる人」となりました。すると、過去の「ペットボトルのキャップを締められなかった私」のことが、まったく意味がわからないと思うようになったのです。握力に問題があるとか物理的に無理だというわけではなく“面倒くさい”という理由だけで、ペットボトルのキャップを最後まで締めていなかったってどういうことなのよ。あと少しだけ余計にキャップを回せばいいだけの話なのに、怠惰にもほどがある……と思いつつも「でもまぁ、どんなに簡単でも、できないことってあるよね」とも思うのは、いまだ床に落ちたチラシをその場で拾い上げることはできないからです。

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