自分で生活を整えていくと、思い出したくない記憶が消えていく

「一番の復讐は、自分が幸せになることだ」という決まった台詞がある。少し前まで、私はこの言葉の意味がまったく理解できなかった。家族を不幸にした父親はいつまでも憎い。のうのうと生きられている理由がわからない。家族を幸せにしなかったのに、自分は不倫相手とさっさと結婚して幸せになろうとしているのも絶対に許せない。私が父親に抱いている感情は「憎悪」とか「殺意」とか、簡単に言葉にできるようなものではなく、私がいくら幸せになろうとこの気持ちは変わらない、私が充実した生活を送っていようが父親への復讐になるはずない、そう思っていた。

引越しを機に住民票を発行した。本籍地には、生まれても育ってもいない、全く足を踏み入れたことのないところが記されてある。たぶん、この住所に父親が住んでいるのだろう。先日、ふと思い立ってその住所に当たる場所をGoogle Mapで調べてみると、一軒のマンションが出てきた。検索すれば、部屋の間取りも家賃もわかる。こんなところに住んでいるのか。全然知らないおばさんと2人で。しょうもないな。気持ち悪いな。こんな人に振り回された自分がみっともない。

そう思うと、なんだか馬鹿らしくなってくる。もう本当に私にとっては父親でもなんでもない、ただの他人なんだなと改めて思った。世間体を気にして離婚せず、周りにいい顔ばかりしていた私の父親は、今や娘の連絡先も容姿もどこで何をしているのかも知らない。道ですれ違ったとしても気づかないだろう。私たちは他人だ。家族を他人にしてしまったのは父親だ。「家族」というもっとも大切にすべきものに抱く感情が、もっとも遠いところにある気がする。一緒に過ごした思い出すらもほとんどない。その事実は、父親にとって何を思わせるのだろうか。それすら、私が知ることはないだろう。

「愛されたかった」とか「もう一度やり直せたら」ともまったく思わない。彼がどこで何をしようがどうでもいい。遺産もいらない。葬式も出ない。できるだけ何かしらの重い病気で苦しみながら、私達にしてきたことを悔やみながら、苦しんでくたばって欲しいなとは思うんだけど、それも「空を自由に飛びたいな~」「ハワイ行きてえな」くらいの願望レベルで、実際の感情は無に近い。

でもそれって、今の私がそれなりに幸せだからだと思う。広い家に引っ越せたし、仕事もやりがいがある。自分ひとりを養うだけのお金も、趣味の読書や映画鑑賞をする時間もある。たまに飲んでくれる友達も、私の馬鹿な話に付き合ってくれる友達もいる。もちろん、将来への不安がないわけじゃないけど……。華やかさはないが、その分大きな不満もない。自分で自分の生活を整えていくと、過去について思いを馳せる時間がなくなる。感情も、その分胸のうちから消え去っていく。

それなりに幸せに暮らせている今や未来を見つめ続けることで、過去を思い出したり、悔やむこともなくなるだろう。そして、私のなかから「父親」という成分は消えていく。記憶も、トラウマも、思い出したくない過去もすべて消していく。

自分で選んだもので。私は自分のしたい生活で。私は過去をすべて受け入れたうえで、何にも縛られず、生きたいように生きていく。

幸せに暮らすこと、父親と一切関係のない世界で生きていること、過去を何もかも忘れて暮らすことが、私一個人としての復讐になるのだ。

Text/あたそ

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