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  • 2016.05.03

ハウツーとの付き合い方――「正しいセックス」はどこにあるのか?

東大院生の今回の研究対象は女性向けアダルト動画の人気ジャンル、ハウツー動画。男性向けにせよ女性向けにせよ、AVは現実を映しつつも「真実」を映すことは決してないファンタジーに近いもの。AVを見続けるか手探りするかしかないわたしたちはどうやって正しいセックスを学んだらいいのかを考えます!

ハウツーに熱狂する私たち

東大院生のポルノグラフィ研究ノート 服部恵典 東大 院生 東大院生 ポルノグラフィ 研究
©Miguel Pires da Rosa

 女性向けアダルト動画の人気ジャンルの一つに、ハウツー動画がある。
女性向けアダルト動画サイト「GIRL’S CH」の場合、プロデューサーの田口桃子によれば、「ふつうのAVって公開日の再生回数が、多くて1万回くらい」だが、「ハウツーものだと5万回、10万回いくこと」があるという。

 SILK LABOが初めて発売したDVDである『Body talk lesson』『ファインダーの向こうに君がいた』も、前者は分かりやすくハウツー動画であるし、後者も実はハウツー性が宿っている。ドラマテイストの作品だが、4度の性行為シーンを通じて主人公の女性がテクニックを磨いていく内容になっているのだ(この点については次回詳しく論じよう)。
また、ここAMでも、SILK LABO作品では『ファインダーの向こうに君がいた』、『Body talk lesson for couples』がよく売れていると聞いている。

 AVに限らず、他のセックスメディアもハウツーものは人気が高い。
コラムに関して言えば、AMでも「素敵ビッチのたのしい性活」「体位の新48手!愛と快感のLOVEポジ」は人気の高いコンテンツであるようだ。

 その人気にあやかって私もハウツー記事を書いてみたいものだが、「どんなセックスやオナニーが気持ちいいか」といった問いは私の研究の範囲外である。
むしろ私の研究は、ハウツーについてメタ的に論じること、すなわち一歩引いて外側から冷静に見つめることを目指している。

 約30年前の本だが、社会学者の内田隆三は『消費社会と権力』という本のなかで、「気持ちいいセックス」に熱狂するこの社会に関して、ずいぶんと早くから鋭い考察を残している。

〈性〉行動の実体に関する研究や調査が繰り返されるが、その重要な焦点として、オーガズムの有無が問われることになるのである。だが、この快楽への問いかけのなかで、オーガズムの意味より明白なのは、そのオーガズムを得るための教育や人為的な努力の数々のほうであろう。オーガズムは純粋単純な快楽=遊びどころではなく、その成否が性格の不一致という愛情の問題あるいは性的能力と一体化した人格の問題にまで結びつけられるほどに、重要な仕事として観念的な拡大を遂げていくのである。(230-231ページ、強調筆者)

 つまり「カラダの相性が大事」「愛のあるエッチが一番気持ちいい」というような社会通念、あるいは冷感症や勃起不全への恐怖が社会を満たし、我々はその呪縛から逃れられなくなる。
オーガズムに達するということやどれだけ気持ちよかったかということは、単に筋収縮や脳波で測れる以上の社会的な意味をもち、社会は「イけ、イけ」と我々を急き立てて焦らせるのだ。

「正しいセックス」は存在しない?

 しかも内田隆三は同書で、このようにも言っている。

 ポルノ、それは砂の味がする〈性〉の現実である。人はこの現実を偽物ではないかという。だが、この現実は偽物や紛い物であることを擬装することを通じて、偽物などどこにもなく、ひたすら現実しかないことを隠しているのである。(127ページ、強調筆者)

 我々は男性向けAVを観て「こんなセックスは実際にはありえない」と冷笑する。その態度はまあ正しい。当然、レイプや痴漢行為は実際にはありえてはいけないものであり、ファンタジーにとどめておくべきものだ。

 だが忘れてはいけないのは、AVの世界が「間違ったセックス」で溢れているように見えたとしても、「正しいセックス」「本当のオーガズム」などといったものは、どこにも存在しないということだ。

 レイプや痴漢行為、顔射や痛みを伴う愛撫も、「○○は間違っている」と言い出す人々がいるから「間違ったセックス」として構築されるのだ。つまり、人間の存在より先に最初から「間違ったセックス」であるようなものは存在しない(ただし、このことを単純化して「レイプは間違ったセックスではない」と考え、有害性を弱めるようなことは絶対にあってはならない)。これは「正しいセックス」も同様だ。

「正しいセックス」を映していないということは、男性向けAVへのカウンターとして現れた女性向けAVに関してもいえる。
つまり、「間違ったセックス」のように見える男性向け作品の代わりに女性たちが制作したAVも、また別の形の「現実」であるに過ぎず、「真実」ではない。

 正しい〈性〉、最高の〈性〉などどこにも存在しないという、このいささか悲観的な事実は、実はとあるハウツー動画が奇妙な形で述べている。
その動画というのが、さきほど「AMでも人気である」といった『Body talk lesson for couples』だ。

ハウツーだけれども鵜呑みにしてはならない

『Body talk lesson for couples』は、カップルで視聴することを想定されているハウツー動画という点がまず興味深いのだが、真に興味深い部分は他にある。

 それは、この動画が映像の7分あたりで「世の中のハウツーテクニックに惑わされない」ようにと視聴者に命じる点である。

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『Body talk lesson for couples』

「『世の中のハウツーテクニックは嘘だ』と世の中のハウツーテクニックは言った」

 この一文は、哲学や論理学の用語で「クレタ人のパラドックス」などと呼ばれるものの一種だ。

 つまり例えば、「この文は偽である」という文が真なら、「この文」は偽だということになり、偽ならばその内容は真ということになり……というように無限に連鎖する。
同様に「この文は偽である」という文が偽なら、「この文」は真ということになり、真ならば内容から偽ということになり……と、この場合も無限に連鎖する。

 要するに、「世の中のハウツーテクニック」の一つである『Body talk lesson for couples』が発信した「世の中のハウツーテクニックに惑わされないように」というメッセージは、真であろうと偽であろうと矛盾が生じてしまうのだ。
〈性〉について何が真で何が偽であるかということは、無限の歪みのなかに消えていく。

 我々は「正しいセックス」や「最高のセックス」のようなものを学びたいと思って、ハウツーに頼る。しかし、よく考えてみると、そのハウツーは絶対不可侵な「真実」など教えてくれてはいない。
ミシェル・フーコーという哲学者の用語を借りて衒学的に言うならば、視聴者や読者の「知への意志」は、存在するはずもない「真理」を探して空転することになるのである。

 * * *

 では、ハウツー動画やハウツー記事は、我々を不用意に不安にさせる悪者なのか? 私はそこまでは考えていない。
だがしかし、「ならば、ハウツーとはどう付き合っていけばいいのか?」と聞かれても、正直に言って、私はこの難問に答える準備ができていない。どうか宿題にさせてほしい。

 ただひとまず言えるのは、「本物」などどこにもないということの自覚と、自分が信じたいものを信じる自由、この2つのバランスが大事なのだろうということだ。

 どうかハウツーに使われずに、自分がハウツーを使うのだと心がけるようにしてほしい。

Text/ 服部恵典

 次回は《浮気を肯定する「セックスの天使」――女性向けポルノのパターンとその破れ》です。

ライタープロフィール

服部恵典
東京大学大学院修士課程1年。同大学卒業論文では、社会学的に女性向けアダルト動画について論じる。

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