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  • 2012.08.15

第10回:『ビューティフルライフ』とキムタク神話の終焉

“感動の材料”ではない障害者のリアルを描きたい

By MJTR
©Girly girl in a Man shirt By dollen

  みんな、どう? 最近、障害のある恋に燃えてる?

 こんにちは、障害物どころか周回遅れでゴールも見えない恋の長距離ランナー・福田です。
今週も往年の恋愛ドラマをあえて見直し、勝手に深読みしていきましょう。

 今回のテーマは、木村拓哉が美容師、常盤貴子が車椅子に乗った図書館司書を演じ、最終回では41.3%という驚異的な視聴率を叩き出した『ビューティフルライフ』です。

 このドラマは、日本に「バリアフリー」という言葉を広めるきっかけを作ったともいわれ、難病に侵されて車椅子での生活を余儀なくされている町田杏子(常盤貴子)が、日常生活に不便を感じたり、その障害ゆえに奇異の視線にさらされたり、恋愛に対しても気後れしてしまったりする心の機微が描かれています。

 古今東西、恋愛ドラマには2人の恋路を妨げる「障壁」があるのがお決まりです。
それは、恋のライバルの存在だったり、家柄の違いだったり、不倫など禁断の愛だったりとさまざまですが、そのハードルが高ければ高いほど、物語はドラマティックになり、それを乗り越えたときの2人の愛と絆も強くなります。


 この作品の序盤においては、杏子の持つ障害がまさに2人にとっての「障壁」にもなるわけですが、脚本の北川悦吏子は、障害というデリケートな問題が、単に2人のドラマを盛り上げるための「感動」の材料になってしまわないように、とてもこまやかに気を遣ってこの作品を書いています。

 車椅子に乗る人の、リアルな苦労や悩み、喜びを描きたい。
障害のある人も、当たり前のように恋愛する風景を描きたい。

 そういった素晴らしい志から生まれた作品だったのでしょう。
そして、その志はたしかにドラマの端々に滲み出ていて、良質な場面やセリフを生み出しています。

ドラマのリアリティと、現実のリアリティは別物

 ところが、ドラマで障害を扱うには、ひとつの困難と矛盾が生じます。

 それは、障害のリアルを伝えようとすると、ドラマを動かす仕掛けとしては勢いが弱くなってしまうのです。
つまり、ドラマをおもしろくするために障害をテーマにしたのに、おもしろく描いてしまったらそれは障害のデリケートな問題や本質からはかけ離れてしまうということです。

 その結果、このドラマにおいて2人の恋に立ちはだかる最大の障壁は、車椅子に乗っているという気後れから「どうせ私なんか…」と恋に後ろ向き・卑屈になっている杏子が、いかに考えを前向きにあらためるか、という自意識の問題へとすり替わっていきました。

 そして、その障壁のパンチのなさを埋め合わせるかのように、ベタすぎる恋のライバルが登場して、誤解とすれ違いからひと悶着が発生するお決まりの展開へ。
そして結局は、「難病によるヒロインの夭逝」という、「喪失したからこそ、この純愛は永遠なんだ」みたいなケータイ小説的なファンタジーでお茶を濁されてしまいます。


 北川悦吏子は「恋愛ドラマの神様」といわれ、そのリアルなセリフ描写に定評がありました。
『ビューティフルライフ』にも、杏子と沖島柊二(木村拓哉)との、ドキドキするようなやりとりがたくさんあります。

 しかし、フィクションのリアリティと、現実のリアリティは、別物です。
北川悦吏子は、この2つの差異を乗り越える力がドラマにはあると、信じていたのだと思います。
ところが、世間のドラマの見方は、その2つの差異の違和感をあげつらい、笑う方向へと変化していきました。

 だからでしょうか、『ビューティフルライフ』をピークに、その後、彼女のドラマは世間での絶対的な影響力を失っていったように思えます。

木村拓哉の演技が“リアル”と呼ばれなくなったとき    

By naosuke ii
©Couple By Dragunsk

 ドラマと現実のリアリティを考える上でもうひとつ重要なトピックが、『ビューティフルライフ』には隠されています。
それは、木村拓哉が“リアルでナチュラルな演技”という評価をされていたのは、ひょっとしてこのドラマが最後だったのではないかということです。

 90年代の北川悦吏子脚本をはじめとする恋愛ドラマでは、あれほど輝いていた木村拓哉。
しかし2000年以降、「またこの演技か」「どんな役でもキムタクになっちゃうよな」などとネット上で揶揄されることが多くなっていきます。

 もちろん、中にはハマリ役で評価の高い作品もありますが、それは『HERO』など群像劇の中で“あのキャラ”が立っているような場合。
『南極大陸』など、ドラマ独特の世界観が確立されている場合、そのキャラが浮いてしまうこともしばしばです。

 彼の演技が、なぜかつては“リアルでナチュラル”と言われていたのか。
それは、彼がいい意味でも悪い意味でも、いつでも“木村拓哉”というフィクションの中の存在だったからです。
誰が書いたどんな世界観のドラマでも、彼は“木村拓哉”という唯一無二のスターを演じていました。
木村拓哉を完璧に演じられるのは、木村拓哉ただ一人。
彼の演技は、だから“リアルでナチュラル”だったわけです。

 そしてそれは、「芸能界」や「芸能人」が、「ドラマ」や「フィクション」と同じ“雲の上”の絵空事だった時代だからこそ、通用したことでもあります。

現実との“コミュ力”が高い男性タレントがモテる!

 ところが、今はどうでしょうか。
「芸能界」や「ドラマ」は、かつてあった“雲の上”から引きずりおろされ、私たちの現実の延長として語られます。

 北川悦吏子がおそらく「障害を感動の材料にしない」という高い志の下に書いたはずの『ビューティフルライフ』でさえ、現在放送したら「障害者の設定や描き方が、ドラマに都合がよすぎる」と叩かれていたと思います。

 女性から人気を集める男性タレントも、木村拓哉のような“フィクションの世界を生きるスター”ではなくなりました。
小栗旬や向井理、瑛太など、最近のドラマで主演を張る男性は、もちろん飛び抜けたイケメンではありますが、ひょっとしたらすぐ近くにいてもおかしくないと感じさせる、「現実のリアリティ」があるイケメンです。
ドラマでも、木村拓哉のように強烈なクセや個性が邪魔することなく、どんな役だって柔軟に演じることができるでしょう。

 つまり彼らは、「現実」に適応し、接続し、折り合いをつけるための“コミュ力”が高いのです。
世間がそれを望むようになった、というべきかもしれません。
フィクションの特権的な力に、やみくもに憧れる時代は終わったのです。

「恋愛」も、かつては「芸能界」や「ドラマ」に近いカテゴリに属する存在でした。
だから、「恋愛」と「ドラマ」の相性はよかったわけです。
でも、今は恋愛って、もっと現実的なものですよね?

 10月からフジテレビ系で木村拓哉主演の月9ドラマが始まるそうですが、果たしてそれはリアリティのある「恋愛ドラマ」になり得るのでしょうか?
注目してみたいと思います。

Text/Fukusuke Fukuda

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ライタープロフィール

福田フクスケ
フリーライター。“くすぶり男子”の視点から恋愛やジェンダー、セックスなどを考察。

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