第10回:『ビューティフルライフ』とキムタク神話の終焉

第10回:『ビューティフルライフ』とキムタク神話の終焉 今回のテーマは、木村拓哉が美容師、常盤貴子が車椅子に乗った図書館司書を演じ、最終回では41.3%という驚異的な視聴率を叩き出した『ビューティフルライフ』です。

“感動の材料”ではない障害者のリアルを描きたい

By MJTR
©Girly girl in a Man shirt By dollen

  みんな、どう? 最近、障害のある恋に燃えてる?

 こんにちは、障害物どころか周回遅れでゴールも見えない恋の長距離ランナー・福田です。
今週も往年の恋愛ドラマをあえて見直し、勝手に深読みしていきましょう。

 今回のテーマは、木村拓哉が美容師、常盤貴子が車椅子に乗った図書館司書を演じ、最終回では41.3%という驚異的な視聴率を叩き出した『ビューティフルライフ』です。

 このドラマは、日本に「バリアフリー」という言葉を広めるきっかけを作ったともいわれ、難病に侵されて車椅子での生活を余儀なくされている町田杏子(常盤貴子)が、日常生活に不便を感じたり、その障害ゆえに奇異の視線にさらされたり、恋愛に対しても気後れしてしまったりする心の機微が描かれています。

 古今東西、恋愛ドラマには2人の恋路を妨げる「障壁」があるのがお決まりです。
それは、恋のライバルの存在だったり、家柄の違いだったり、不倫など禁断の愛だったりとさまざまですが、そのハードルが高ければ高いほど、物語はドラマティックになり、それを乗り越えたときの2人の愛と絆も強くなります。


 この作品の序盤においては、杏子の持つ障害がまさに2人にとっての「障壁」にもなるわけですが、脚本の北川悦吏子は、障害というデリケートな問題が、単に2人のドラマを盛り上げるための「感動」の材料になってしまわないように、とてもこまやかに気を遣ってこの作品を書いています。

 車椅子に乗る人の、リアルな苦労や悩み、喜びを描きたい。
障害のある人も、当たり前のように恋愛する風景を描きたい。

 そういった素晴らしい志から生まれた作品だったのでしょう。
そして、その志はたしかにドラマの端々に滲み出ていて、良質な場面やセリフを生み出しています。

ドラマのリアリティと、現実のリアリティは別物

 ところが、ドラマで障害を扱うには、ひとつの困難と矛盾が生じます。

 それは、障害のリアルを伝えようとすると、ドラマを動かす仕掛けとしては勢いが弱くなってしまうのです。
つまり、ドラマをおもしろくするために障害をテーマにしたのに、おもしろく描いてしまったらそれは障害のデリケートな問題や本質からはかけ離れてしまうということです。

 その結果、このドラマにおいて2人の恋に立ちはだかる最大の障壁は、車椅子に乗っているという気後れから「どうせ私なんか…」と恋に後ろ向き・卑屈になっている杏子が、いかに考えを前向きにあらためるか、という自意識の問題へとすり替わっていきました。

 そして、その障壁のパンチのなさを埋め合わせるかのように、ベタすぎる恋のライバルが登場して、誤解とすれ違いからひと悶着が発生するお決まりの展開へ。
そして結局は、「難病によるヒロインの夭逝」という、「喪失したからこそ、この純愛は永遠なんだ」みたいなケータイ小説的なファンタジーでお茶を濁されてしまいます。


 北川悦吏子は「恋愛ドラマの神様」といわれ、そのリアルなセリフ描写に定評がありました。
『ビューティフルライフ』にも、杏子と沖島柊二(木村拓哉)との、ドキドキするようなやりとりがたくさんあります。

 しかし、フィクションのリアリティと、現実のリアリティは、別物です。
北川悦吏子は、この2つの差異を乗り越える力がドラマにはあると、信じていたのだと思います。
ところが、世間のドラマの見方は、その2つの差異の違和感をあげつらい、笑う方向へと変化していきました。

 だからでしょうか、『ビューティフルライフ』をピークに、その後、彼女のドラマは世間での絶対的な影響力を失っていったように思えます。