いいね!を押し合う“承認ゲーム“
他人の結婚式、豪華なランチ、目に♡の付いた子どもの写真を見て「いいね!」とやるのは簡単。
でもそこにあるのは、ポジティブな感想だけではないはず。「目を♡で隠すほどアンタの子どもは有名なのか」「この写真、新婦より自分のほうがキレイに写ってるのを選んだな」などなど、本音は8割くらいが「充実ライフをアピールする他人への苛立ち」ではありませんか。
一方、独身の自分とママになった友人を比べ、「子育てして偉いな、私なんて…」という思いも2割はあったりする。
16世紀の昔、カトリック教会は「贖宥状」を発明しました。
人々はこの贖宥状さえ買えば、自分の犯した罪の償いが軽減されると信じたのです。結果的に教会は大儲け。Facebookの「いいね!」ボタンは、何だか贖宥状にも似ています。
押せば罪の意識が軽減される…ちょっと想像が過ぎるかもしれませんが、あまりに皆が「いいね!」を乱発するため、余計に「ねぇねぇ、ホントに今いいねって思ったのねぇねぇ?」と勘ぐりたくなるのです。
「いいね!」を押せば、人と比べて自分の今を省みる暗い気持ちや、他人の幸せをひそかに妬む、自分の醜い感情に蓋をすることができます。
私たちは「いいね!」ひとつで、複雑な感情を他人への承認に転化している。本心から“いいね!”と思っている場合でさえ、少なからず「いいね!」=「他人の幸せに『いいね』って言えるアタシ、いいね!」という浅ましさを内包しているはず。
複雑な本音から目をそらし、ひたすら「いいね!」を押し合ってコミュニケーションした気になっている私たち。
その様子はさながら、底の浅い“承認ゲーム”です。
さて、あなたが今日押したその「いいね!」、本音ですか?
Text/かや
次回は『その「いいね」本音ですか?~女子会編~』です。ぜひお楽しみに!
■合わせて読みたい
少年アヤちゃん新連載『少年アヤちゃんが行く! 恋の東京散歩』
大泉りえさん新連載『官能小説・主人公から学ぶファム・ファタールのススメ』
宮台真司さんインタビュー『脱いいね! のススメ』
Text/AM編集部