ねぇ、私たちの自己肯定感は自分で自分のために生み出そうよ

なぜモテたいと思っていたのか今一度深く考えている長井短の画像

 8月・・夏真っ只中ですね。皆さん、素敵な夏過ごしてますか?
前回前々回と、「夏の逆にモテる講座」を勝手に開いたわけですが、ここである疑問が浮かび上がりました。

「なんでモテたいんだっけ?っていうか、私って本当にモテたいと思ってる?」

 この・・全てを覆す疑問・・・なんだったんだ今までのコラム・・とはいえ浮かんでしまったものは仕方ないので、今回はこのどでかい疑問に立ち向かっていくよ!

モテたいっていうか認められたい

 私はここ何年か、呼吸するように「モテたい」と呟いてきました。

 そもそも「モテる」とはどういうことなのか。グーグルに「モテる 意味」と問いかけたところ、答えは「異性などから大いに好かれ、人気があること」ということでした。
ほほう。確かに、これは良いな。大いに好かれたいものです。

 でもどうなんでしょう。もし、モテたいという願望が叶って、大いに好かれたら。毎日毎日沢山の人に告白されて、色んな人に優しくしてもらえるのかもしれない。
でもその一方で、私に告白してくれた人に片思いしている人を悲しませることにもなりますよね。その悲しみが集合すれば怒りに変わって憎悪になって、きっと友達は減ってしまう。

 え、待って待って嫌なんだけど!別にそこまでモテたくはないわ。じゃあモテたいってどういうこと?「自分の好きな人に好かれたい」こととは少し違う気もします。

 結局「モテたい」ってのは「自己肯定感が欲しい」ってことと同義語なんじゃないでしょうか。人にちやほやされたら、気持ち良いもんね。なんか、ちょっと自分に自信も持てる。

 でも、ですよ。自己肯定感得るの、そこで大丈夫か?と思うわけです。異性からの曖昧な評価に、独特の価値基準に、自己肯定感任せて大丈夫?私はこれ、大丈夫じゃないんじゃないかと思い始めました。