2020年代。それでも恋愛するには?

そのままの自分では愛されないので何らかの努力や工夫をしなければならないという観念は、自分の存在そのものではなく「自分がどういうふうである」とか「自分が何をしてあげたか」に条件づけられて与えられた愛情に由来していると思われます。この観念が大人になり、恋愛面に反映されると、<条件>先行の思考、つまり自分が愛されないのは何らかの条件を満たしていないからだという考え方に繋がるはずです。

しかし、この考え方を助長しているのは他ならぬ恋愛産業という側面があり、たとえばダイエット食品は「やせるとモテる」と主張するし、化粧品はこれを使えばモテると暗に宣伝するし、恋愛ライターは「女子力」と呼ばれる謎のパワーを上げろとか、お前がモテないのはこうだからだと啓蒙します。モテないのは、あなたが愛されないのはこれこれこういうわけであなたの責任である、と説いて、最終的に自分の売っている商品に誘導するわけです。これらは全て「あなたがモテないのはこれを買わないからだ」と言っているに過ぎないわけですが、共通しているのは自分が「モテる条件」を満たせば自然に誰かが自分を愛してくれるようになる、という自己を客体化する考え方です。

そして男女双方がそのような状態になったとき盲点になるのが、もはやみな切磋琢磨して愛されるのを待っているだけで恋愛の条件として「自分が誰かを好きになる」「愛情を注ぐ」という主体性の部分が欠けてしまう点です。魚心あれば水心と形容されるように、人間の感情はもっと双方向的なもので、相手が自分に興味をもってくれている、であれば自分も少し心を許そうか、というふうに段階を踏んで進展してゆくものであり、最初から「愛される条件」を備えているとか備えていないという話ではないのです。

小野ほりでいイラスト

なぜ、しずかちゃんはのび太を選んだのか

ところで、話は飛びますが、「ドラえもん」に登場するしずかちゃんは男子たちのあこがれの的なのに、物知りで成績優秀で万能の出木杉ではなくのび太と結婚することになりますよね。これは条件面でいえばなかなかの下降婚ということになります。長い間これは、のび太目線で描かれたご都合主義の物語だからそうなっているだけだと筆者は思っていましたが、案外そうでもなさそうだと思えるような話を小耳に挟んだのでここで触れておきたいと思います。

たとえば、恋愛や結婚対象を選ぶときに私たちは自然とそれを受験とか就職活動の延長で、「自分が選べる中で最良の条件の」相手を自然に選ぶものだと思っているフシがあります。しかし、人間は本来的に共同体的な生き物で、おまけに一夫一妻制を採用しているため「自分が選ばなくても誰かに選ばれるであろう対象」には愛情を抱きにくいものらしいのです―――でないとみんなが同じ人を好きになって社会が成立しなくなりますね。

収入があって、外見がよくて、人気があって……という相手と一緒になっても、その人はいつでも他の誰かに愛される準備があるので、自分は誰かに交換可能だとか、他にもっとふさわしい人がいるのではないかという不安が付きまといます。これが無意識にあるために、誰が見ても好かれそうな人と交際しても、何かしら難癖をつけて自分で別れてしまうことになりかねません。したがって、「この人は冷静に、客観的に見たらどうしたこともない人だけど、自分にだけはこの人の魅力が分かる」という主観的な特別な感情が必要になります。

「この人の魅力を分かっているのは自分だけだ」とはつまり、「自分にはこの人がいないとだめだ」ではなく「この人には自分がいないとだめなんじゃないか」と心配するような気持ちが愛情のトリガーになっているようです。このため、男の人も女の人も「こういう人が好みだ」とふだん言っているのとちぐはぐな相手と結婚することがあります。意識のうえではこういう人が好きになるはずなのに、そうではない人を好きになってしまうのが愛情の難しいところです。

しずかちゃんの場合、のび太と結婚する理由はまさに「心配で見ていられないから」というものなのですが、これは人間の持っている互助的な性質を前提にするとむしろリアルなものだ分かります。そこを考えると、「自分が愛されないのは何かが足りないからだ」と努力し、完璧になろうとするほど、「この人は大丈夫そうだ」という印象を与えかねません―――愛情は「相手を助けたい欲求」という要素を持っているわけです。

愛情を「存在そのもの」に向かわせること

ということで、これからの恋愛の課題は愛情の対象を条件ではなく存在そのものに向かわせること、「あなたの存在を認める」という小さな出発点に立ち返ることになります。存在を認めるとは、相手がどういうふうであるとか、何をしてくれるか以前に、相手がその人であることを自然に認めることであり、これは親しい仲や肉親であっても簡単なことではありません。

でも、その愛情を注ぐ相手がいない? 出会いがないからキャラクターやアイドルに愛情を注ぐしかなくなっているのではないか? その指摘はもっともだと思います。

実際、筆者もこんなふうに偉そうなことを書いていますが、家とコンビニを往復する生活で誰とも会話していません。しかし、それは社会の歪みが回り回って自分のところにしわ寄せが来ているだけで、自分が悪いのではないと思います。もう何か月か人と喋ってないな、と思うとき、「そういう社会だから」という言葉が口をついて出てきますが、朽ちかけたアパートの壁の間を反射し、都会の喧騒にかき消されてゆきます。

人はなぜ生まれ、なぜ死ぬのか。その答えは誰にも分かりません。

Text/小野ほりでい
初出:2020.03.31