造り上げられた“虚像”

 そもそも、『港区女子』がこんなに広がり、一種のブームメントを巻き起こしているのは何故か。私は仮説を立ててみた。

 その昔、芸能人が「スター」と呼ばれる時代があった。誰もが憧れ、一度は目指し、夢見たスター。一般人の手が届かないどころか、住んでいる世界さえも違うような気さえ起こさせたのが、その昔の芸能人だった。
時が流れ、世では空前の読者モデルブームが到来する。あのブランドのカリスマ店員、どこ大の美人女子学生…自分たちが住む世界に絶対いて、もしかしたら手が届くかもしれない、会うことだってできてしまう距離感。テレビよりも敷居の低い雑誌を埋め尽くした彼女たちは、自分たちの生活や恋愛などを曝け出し、特別かつ等身大という新たなジャンルを打ち立て時代を先駆していった。
そして、テレビから雑誌、そして主要メディアがインターネットへと移行した近年。今や誰もが使っている様々なSNSでは、嘘なのか本当なのか分からない生活で溢れている。素人でも精巧な画像加工ができる、ネット上で拾った画像をあたかも自分のモノのように載せられ、経験したことがないことも詳細を調べられる、誰もがなりたい自分を演出できる時代だ。

 『港区女子』に関連していえば、真っ先に“ばびろんまつこ”氏が浮かぶのは私だけじゃないはず。彼女はあのような結末を迎えたが、きっと彼女のようにネット上で自分を偽っている人は山ほどいるだろう。そして、驚くことにそういった人たち、アカウントたちは多くの人から支持されている。嘘か本当かも分からない人物に熱狂する人々、それこそが『港区女子』が広まった要因だろう。
先に書いた、芸能人や読者モデルよりもさらに身近で、下手したら学校の同級生にもいるかもしれない…すごいところに住むのは無理だけど、飲み会とかには参加できるかもしれない。その多くの“かもしれない”が『港区女子』を広めたと考えられる。また『ギャラ飲み』や『タク代』も、芸能人のフレーズや読者モデルの使った言葉が流行った現象と同じなのかもしれない。実体の無い“かもしれない”モノに作られた実体の無い言葉がネットの海を漂う。その様はまるでいつか世間を夢中にさせた都市伝説にも思えた。

『港区おじさん』になんてなれない。

 『港区女子』を語る上で避けられないのは、『港区おじさん』の存在だ。『港区女子』たちを囲い、翻弄されることさえも楽しむ彼ら。ネット上では同情の声があるも、自称する人たちはどことなく自慢げに見えなくもない。
内情を見てみれば、どこのマンションに住んでいるなどのどうでもいいアピール、飲み会に来た女性が気に食わないと容姿関係なく「ブス」と吐き捨てる…など、思わず首を傾げてしまう人たちの多さ。自分たちが資金力を餌に女性を誘き寄せているのに、それが分かると態度を豹変させる。
綺麗な嘘と気持ちのいい反応を望むならプロと飲めばいいものの、処女信仰にも似た“素人信仰”が働くのか、レベルの高い素人を求め続ける姿に滑稽さ以外の何物も感じない。素人に文句を言う時点でプロを相手に遊び尽くしていない証拠なのだ。ただ、男性だけが責められたことではない。

 女性たちも考えてみてほしい。年収1,000万円以上の男性が日本全国で一体どのぐらいいるかを。国税庁「民間給与実態統計調査」によると、年収1,000万円以上は全就労人口比率だとたったの4%(男女計)、30代の独身男女に限定すると1.8%まで下がる(DODA「平均年収ランキング2016(年齢別の平均年収)」)。となると、本当の“お金持ち”なんて殆どいないと気づくはず。 タワーマンションに住んでいると言っても、立地や階数によって家賃がまるで違ってくるので判断材料としては不十分だ(芝浦アイランドタワーが顕著な例)。また、部屋を所有しているといえども、仲間数人でシェアしているパターンも多い。

 いくら大手企業に勤めているとはいえ、彼らは一般的なサラリーマンで、可処分所得も大半の人たちは微々たるもの。女性はそれを前提で男性と接するべきだし、男性も男性でヘタに見栄を張らないほうが身のためだ。『港区おじさん』は、業界人や経営者・実家が太い、勤め人でも年収が多い層(外資系投資銀行など)に任せておこう。タク代で女性を釣るにはまだ早い。