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  • 2017.10.10

虚像『港区女子』に憧れる女子への通告/マドカ・ジャスミン

西麻布、六本木をはじめとする歓楽街で飲み歩くことをステータスとする「港区女子」、そしてそんな港区女子たちを囲う力があることを見せつけ自らを誇示する「港区おじさん」。虚像だらけのキラキラした世界はどうして生まれるのでしょうか?

港区女子にあこがれる人に警鐘をならすきじのサムネイル

 昨今、ネットを中心にメディアでよく見かけるワード『港区女子』。
言葉だけが独り歩きをし、その実情があやふやでまるで現代のおとぎ話や都市伝説と言っても過言ではない。
 
 そこで今回、『港区女子』の正体から、彼女たちが量産されている背景などに切り込もうと思う。
 
 彼女たちは、一体何者なのか。

『港区女子』を定義する。

 実は、『港区女子』を定義するところから少しばかりの争いが起きる。
一般的に港区女子といえば、西麻布・六本木を中心とした港区を縄張りとする女性を指すと思われている。しかし、一部からは「生まれも育ちも港区でなければ港区女子ではない」という声も挙がる。確かに後者のようないわゆるサラブレッドもいるが、ネット上でよく取り上げられていたり、街に常駐していたりする女性のほとんどは間違いなく前者だ。

 出身も神奈川・埼玉・千葉の東京以外の首都圏に始まり、地方勢も少なくない(私も神奈川出身であるため、よくイジられるという余談も)。後者のサラブレッドや都心近くで生まれ育った人たちが港区で遊んでいるのは、単に高校時代までの遊び場からランクが上がっただけで、ごく自然な流れに過ぎない。
問題は、大学生になってから都心で遊ぶようになった人たちだ。上京組なんかもこれに属する。この層は何といっても、東京の煌びやかさに耐性がない。(東京ではよくある)有名人との遭遇なんてしてみようなら、少なくとも一か月は夢見心地だろう。お酒の種類もろくに知らなかった子たちが「ヴーヴ不味い」なんて言い出すようになるのを何人も見てきた。

 大学デビューと同時に港区デビューを果たした子たちの中でも、特に自分に自信がなく承認欲求が強い、断れずに受け身でいる子はどんどん眠らない街に沈んでいく。何かに懸命に取り組むわけもなく、結果を積み上げる気もない。
その結果、「すごい人たちと飲んだ」「誘いの連絡が止まらない」「この金額のタク代を貰った」という他人がいなきゃ成り立たない物差しで自分の価値を測り始めるのだ。求められているのは自分自身ではなく、“若い女”という要素、ただそれだけというのに。
もちろん、中にはそれを理解している人もいる。が、残念なことに大半はそうじゃない。理解はおろか、どんどん男性に対する態度が横柄になっていく。

 『港区女子』とセットで広まっている『ギャラ飲み』も、本来はパッケージング化されていなかった。昔から、終電の時間を過ぎても飲み会に残っていてくれた女性に“車代”“足代”としてお金を渡すこと自体は文化・礼儀として根付いている。そのお金が“ギャラ”と言葉を変え、今に至るわけだ。
現実、40代ぐらいの方は『ギャラ飲み』の単語にハテナを浮かべことが多い。なので、『ギャラ飲み』という流行に乗っ取っている自分に酔い、お金を受け取る側=偉いと思っているのなら、自分の立場を理解したほうが今後のためだ。若さで許されていた傲慢は、徐々に身を蝕むのだから。

 

造り上げられた“虚像”

 そもそも、『港区女子』がこんなに広がり、一種のブームメントを巻き起こしているのは何故か。私は仮説を立ててみた。

 その昔、芸能人が「スター」と呼ばれる時代があった。誰もが憧れ、一度は目指し、夢見たスター。一般人の手が届かないどころか、住んでいる世界さえも違うような気さえ起こさせたのが、その昔の芸能人だった。
時が流れ、世では空前の読者モデルブームが到来する。あのブランドのカリスマ店員、どこ大の美人女子学生…自分たちが住む世界に絶対いて、もしかしたら手が届くかもしれない、会うことだってできてしまう距離感。テレビよりも敷居の低い雑誌を埋め尽くした彼女たちは、自分たちの生活や恋愛などを曝け出し、特別かつ等身大という新たなジャンルを打ち立て時代を先駆していった。
そして、テレビから雑誌、そして主要メディアがインターネットへと移行した近年。今や誰もが使っている様々なSNSでは、嘘なのか本当なのか分からない生活で溢れている。素人でも精巧な画像加工ができる、ネット上で拾った画像をあたかも自分のモノのように載せられ、経験したことがないことも詳細を調べられる、誰もがなりたい自分を演出できる時代だ。

 『港区女子』に関連していえば、真っ先に“ばびろんまつこ”氏が浮かぶのは私だけじゃないはず。彼女はあのような結末を迎えたが、きっと彼女のようにネット上で自分を偽っている人は山ほどいるだろう。そして、驚くことにそういった人たち、アカウントたちは多くの人から支持されている。嘘か本当かも分からない人物に熱狂する人々、それこそが『港区女子』が広まった要因だろう。
先に書いた、芸能人や読者モデルよりもさらに身近で、下手したら学校の同級生にもいるかもしれない…すごいところに住むのは無理だけど、飲み会とかには参加できるかもしれない。その多くの“かもしれない”が『港区女子』を広めたと考えられる。また『ギャラ飲み』や『タク代』も、芸能人のフレーズや読者モデルの使った言葉が流行った現象と同じなのかもしれない。実体の無い“かもしれない”モノに作られた実体の無い言葉がネットの海を漂う。その様はまるでいつか世間を夢中にさせた都市伝説にも思えた。

 

『港区おじさん』になんてなれない。

 『港区女子』を語る上で避けられないのは、『港区おじさん』の存在だ。『港区女子』たちを囲い、翻弄されることさえも楽しむ彼ら。ネット上では同情の声があるも、自称する人たちはどことなく自慢げに見えなくもない。
内情を見てみれば、どこのマンションに住んでいるなどのどうでもいいアピール、飲み会に来た女性が気に食わないと容姿関係なく「ブス」と吐き捨てる…など、思わず首を傾げてしまう人たちの多さ。自分たちが資金力を餌に女性を誘き寄せているのに、それが分かると態度を豹変させる。
綺麗な嘘と気持ちのいい反応を望むならプロと飲めばいいものの、処女信仰にも似た“素人信仰”が働くのか、レベルの高い素人を求め続ける姿に滑稽さ以外の何物も感じない。素人に文句を言う時点でプロを相手に遊び尽くしていない証拠なのだ。ただ、男性だけが責められたことではない。

 女性たちも考えてみてほしい。年収1,000万円以上の男性が日本全国で一体どのぐらいいるかを。国税庁「民間給与実態統計調査」によると、年収1,000万円以上は全就労人口比率だとたったの4%(男女計)、30代の独身男女に限定すると1.8%まで下がる(DODA「平均年収ランキング2016(年齢別の平均年収)」)。となると、本当の“お金持ち”なんて殆どいないと気づくはず。 タワーマンションに住んでいると言っても、立地や階数によって家賃がまるで違ってくるので判断材料としては不十分だ(芝浦アイランドタワーが顕著な例)。また、部屋を所有しているといえども、仲間数人でシェアしているパターンも多い。

 いくら大手企業に勤めているとはいえ、彼らは一般的なサラリーマンで、可処分所得も大半の人たちは微々たるもの。女性はそれを前提で男性と接するべきだし、男性も男性でヘタに見栄を張らないほうが身のためだ。『港区おじさん』は、業界人や経営者・実家が太い、勤め人でも年収が多い層(外資系投資銀行など)に任せておこう。タク代で女性を釣るにはまだ早い。

“港区”は手段であり、目的ではない。

 港区で遊び始めた女性にありがちなのは、街以外の何物でもない港区を“夜の遊園地”だと勘違いしていることだ。自覚、無自覚関係なく。本人たちにしてみたら、ただ飲んでいるだけでお金を貰えるというのに価値を見出しているのかもしれない。けど、仮にタク代を1万円、1次会と2次会を6時間として時給換算すると、およそ1,700円以下。終電がなく、タクシーで帰宅をすれば必然的にそれ以下となる。

 「お金がないからギャラ飲みに誘ってほしい」と言われるたび、私はこう返す。「バイトしたほうが稼げるよ」と。現実を直視することなく、自分自身ではなく若さに需要があるからチヤホヤされていることも理解せず、ただただ「なんとなく…」で夜な夜な街に繰り出す。
学生は夜遅くまで遊んでいるせいで朝起きれず、学校に行かなくことが重なり始め、OLなどをしていた人も生活が夜に傾き、場合によっては昼職をやめてラウンジなどの仕事を一本化するようになる。
自分の意思によっての行動ならいいとして、流されるまま生活が夜中心となるのはどうなのか。飲み会によって得た人脈でマネタイズを考えるなどを除き、一時のお金と煌びやかとされる環境に目が眩み続けて得られる実績があるなら教えてほしい。
 
 若さと時間は残酷なことに人類みな平等だ。どう使うかは自分の自由だけど、
どれだけ偉い人や有名な人の飲み会に呼ばれようが、そんなもの価値でも何でもないただの思い上がりだってことに気づいてほしい。
もちろん、港区で得たものを上手く使う人も多くいる。飲み会で希望業界の人と知り合い、上手く情報収集やコネクションを繋げてもらい、結果として就職活動に成功した学生を何人も見た。彼女たちのような“勝ち組”を見ていて思うのは、損切りが非常に上手い。興味がない、自分が得をしない相手からの誘いに対して非常にシビアなのだ。
社会人になって稼げるようになれば、嫌なガツガツ感もなくなる。となると、必然的に質のいいオファーも増える。男性だって人間だから、一緒に空間を共有して違和感がない人と過ごすのは当たり前だ。

 『港区女子』なんてものに憧れを抱くぐらいなら、自分の生活をきちんと持続させるほうが何倍も尊い。いつだって人は簡単なことに気づけないものだ。

Text/マドカ・ジャスミン

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