「顔射なんて最低」性癖を否定するのは人格を否定するのと同じ

セックス中、相手の男性がすることに「それなの!?」と驚くことってないですか? わたしはあります。例えば年上の男性のリクエストが「おねえさんっぽく俺のことを攻めて」だったり、ちょっと気分を変えようと「オナニーして見せてよ」と頼んだところ、四つん這いになって悶え始めたり。セックスはしていないけれど、ズボンを降ろしたら女物のグンゼのパンツを履いている男性もいたし、足の爪の横のささくれを食べさせてほしいと乞われたこともあります。

わたしも、そこそこ意地が悪いので、時には「ええっ! あなたのおねえさんっていうと50歳オーバーかな?」とトボケたり、四つん這いの尻を蹴飛ばすなどして、水を差すこともないではありません。が、基本的には、せっかく性癖を晒してくれる勇気を尊重し、相手のストーリーにのってあげたほうがいいと思うし、逆にのれないのであれば、そもそも、その相手とはセックスがあわないということで、“性の喜び”を共有するのは難しいのではないか、と思うのです。

もし相手の性癖が受け入れられなかったら…

たまに「顔射してくる男なんて最低だ」とか「彼がAVの見過ぎで潮を吹かせようとしてくる」と、怒りをあらわにする女性を目にすることがあります。もちろん女性側が嫌がっているのに、無理やりに顔にひっかけてきたり、ガシガシ手マンを続行するような男は最悪だけど、その行為が彼の性的ファンタジーであるならば、「キモい」では片づけるのは乱暴だと思うのです。だって、何に興奮するかは人それぞれであって、だから性癖を否定するのは、人格を否定するとの同じことじゃないですか。

そもそも、「世の中にポルノがあるから悪い」「おかしな性癖を持つのが間違っている」といったところで、じゃあ、世の中からポルノと(その人が思う)おかしな性癖が消えさえすれば、果たして“自分が望むセックス”が実現するのでしょうか。その“自分が望むセックス”がまた別の誰かにとっては「ポルノに影響された、おかしな性癖」である可能性だってあるわけです。

相手の性癖が“自分が望むセックス”の弊害になるのならば、「その性癖を、わたしは受け止められない」とはっきり意思表示するしかないし、逆に「その性癖を、俺は受け止められない」というリスクを負って“自分が望むセックス”とは、どういうものであるかを相手に伝えるしかないと思うのです。

Text/大泉りか