国が生まれた伝説からさかのぼろう

柳川重信《天野浮橋(あまのうきはし)》 天の橋に立つ伊邪那岐命と伊邪那美命の夫婦 柳川重信《天野浮橋(あまのうきはし)》 天の橋に立つ伊邪那岐命と伊邪那美命の夫婦 

そもそも「夫婦の和合がめでたい」という伝統的な心象を遡るために、国生みの神話から話したい(そこから?!)。

伊邪那岐命と伊邪那美命の”夫婦”はオノゴロ島におりたち、国生みにより日本国土を形づくる多数の子どもをもうけたという。実際にどのように国が生まれたかを観察した証拠がないため、民族の心象に寄り添った説明をつけたものが「神話」というものであり、人の想像力の上に及ぼされた強烈な印象をともなって他の人に語り継がれていく。また、神話は長いストーリー形式であるため感情を揺さぶりやすく、わかりやすさも相まって、豊かに繁栄したいという民族の感情と結びつき、長く受け継がれたのではないだろうか。

「陰陽和合」は万物を創造するめでたいものと信じ(猥褻という概念は明治からであり、それまではクリティカルな思想は出なかったように思う)各地に性器の御神体を祀り、和合のためには夫婦が仲良くあることが必要であることも、同様に伝わり続けたのではないだとうか。

柳川重信《天野浮橋(あまのうきはし)》 柳川重信《天野浮橋(あまのうきはし)》

次に紹介する「高砂」の絵と、上の伊邪那岐命と伊邪那美命の夫婦の絵はどちらも《天野浮橋(あまのうきはし)》という同じ春画本に掲載されているのだが、春画の中に神話や夫婦和合を願う慈しみに満ちた絵が掲載されるのって現代の感覚からすると驚きですよね。「神話や老夫婦の絵で興奮するの?」と疑問が出てくる。

しかし、春画の本は即物的に興奮を促すものだけではなく、「性はおめでたいもの」「性は前向きで楽しいもの」「ほがらかな笑いに満ちたもの」というメッセージもある。

様々な性別、年齢、立場の人間(ときには妖怪や動物)を美しい四季や楽しい行事とともに隠すことなく描いている春画本を「咲本(えほん)」や「笑本(えほん)」とはよく言ったものだと感心してしまう。

四季と仲良し長生き夫婦の意外な関係?

柳川重信《天野浮橋(あまのうきはし)》松の木陰を掃き清める仲睦まじい老夫婦 柳川重信《天野浮橋(あまのうきはし)》松の木陰を掃き清める仲睦まじい老夫婦

みなさまは謡曲の『高砂』をご存知でしょうか。「高砂」の話を簡単に伝えると、九州阿蘇神社の神主友成(ともなり)は、高砂の浦に立ち寄ると、清らかな佇まいをした一組の老夫婦に出会う。松の木陰を掃き清める老夫婦に友成は、高砂の松について問いかける。老夫婦は友成に、この松は高砂の松であり、遠い住吉の地にある住の江の松と合わせて「相生(あいおい)の松」と呼ばれていること教える。そして『万葉集』の時代のように今の世に和歌の道が栄えていることを、それぞれ高砂、住の江の松にたとえて、賞賛した。老翁はさらに、和歌が栄えるのは、草木をはじめ万物に歌心がこもるからだと説き、樹齢千年を保つ常緑の松は特にめでたいものだと語る。
遠い地にある住吉の松と高砂の松は離れていても夫婦のように二人でひとつであり、「相生(あいおい)の松」の「相生」は「相老い」とかけており、「共に老いよう」というメッセージが込められている。

明るく崇高なこの「高砂」の内容は、人々の求める世の平和や心象と一致し伝承された。
そして「高砂」と「住の江」の松のように遠く離れていても仲睦まじく、老いても人生を共にしていこうという「高砂」は、一般におめでたい図柄としてモチーフ化されるようになった。

月岡雪鼎《婚礼秘事袋(こんれいひじぶくろ)》 婚礼で飾られる島台(ホンモノの島台はこんなに面白くないよ! 月岡雪鼎《婚礼秘事袋(こんれいひじぶくろ)》 婚礼で飾られる島台(ホンモノの島台はこんなに面白くないよ!)

長寿や老夫婦の睦まじさのモチーフとなった「老松」「尉(じょう)」「姥(うば)」のお着物が置かれた「島台」は婚礼でも飾られ、浮世絵でも頻繁に描かれている。
たとえば下図の合巻「新靭物語(しんうつぼものがたり)」第二編上に描かれている清影と久方姫の婚礼の儀にも中央に島台が飾られている。

《新靭物語》左上にいるふたりが夫婦となる清影と久方姫。春画本ではないよ 《新靭物語》左上にいるふたりが夫婦となる清影と久方姫。春画本ではないよ