性器はただの性器
「自分のアナルを鏡で見たことがないという日本人男性は約8割にものぼります。さらに、断面図を見て前立腺の位置を答える問題の正解率はわずか16%。前立腺の役割が陰茎を勃起させることだと勘違いしている男性も38%いらっしゃいました。
肛門性交の快感から日本人男性が疎外されているのは由々しき事態です。これは菊門展のような真面目なアートが、日本で紹介されていないからでしょう。日本はこの分野で非常に遅れをとっていますね。
本当は、例えば自分の肛門を写真で撮って見てみるとか、自分で触ってみるようになれば、訳もなく自分の身体に悩むようなことはなくなるはず。理想を言えば、友達同士で普段から“俺の前立腺って”と話せるようになれば、自分の性器に自信が持てるようになるでしょう。」
なんだか直感的に(「論理的に」ではない)、「何を言っているんだ???」という気持ちになるだろう。これは私が創作した架空のインタビューで、数字も架空のものだ。「菊門展」も、女性器アートがあるなら、と私が勝手に考えた美術展である。しかし、「肛門」を「女性器」、「前立腺」を「クリトリス」に入れ替えたような言説は世の中にとても多い。
別に私は、アナルセックスに反対なのではないし、前立腺はどうぞ開発していただければいいし、医学的知識はないよりはあったほうがいいと思う。
そもそも私は「射精オーガズムの神話に惑わされるな」という主旨の記事を書いたこともあるのであって、多くの男性がアナルの快感に全く気づくことなく一生を終えていくことについては、常に「なぜだ?」と言い続けていきたいと思っている。上記の架空のインタビュー記事がこの先現実になっても、まったく不思議ではない。
だが同時に私は、「ハウツーに使われるのではなく、己がハウツーを使うべきだ」という主旨の記事も書いているのであって、「社会」が大いなる存在感を持って人々を「性」とか「快感」に追い立てることへの恐怖も、同時に忘れずにいたい。アナルを見たことがあったら何か偉いのか。女性器を見たことがあったら何かステキなのか。
もちろん、特に第二波フェミニズムの時代にあったような、初めて自分の女性器を鏡で見たときの感動、といった語りを否定しさることはしないけれども、「性」が人間の中心、奥底に眠る最強のアイデンティティとして構築されることには、注意深くなければならないと思うのだ。適切な距離を保たなければならない。
性器はただの性器だ。陰核(クリトリス)は人格ではないのである。
クリトリスの位置を知らない男/女が、周りにどのような人間として思われるのか。それは中国と日本でも異なるし、何らかの社会的な構築の結果に他ならないのだ。
Text/服部恵典
次回は<AVにとって「リアル」とは何か――素人モノAVとヤラセ>です。
服部恵典さんの「東大院生のポルノグラフィ研究ノート」は連載1周年。今までの連載を振り返りながら、「AVのリアリティ」を考察する総集編です!服部さんがAV関係者にツイッター上でキレてしまったエピソードを題材に、プロレスファン、宝塚ファンについての研究を参考にして、「素人モノAV」について論じます。