裏垢女子になりたい

 私自身がウォッチングを重ねてきたわけではないので詳しくはないが、当然、Twitter以前から、素人女性がweb上で自分の裸を晒す場として、「おぱーい」を「うp」する2ちゃんねるの女神板、ライブチャットやニコニコ生放送などが存在していた。
だが、「#裏垢女子」でTwitter検索するだけでエロ画像がずらっと出てくるようなお手軽さはなかったはずだ。

 もちろん、Twitterにも「エロ垢」は前からあったが、性器を露出するほど過激だっただろうか。というよりおそらく、「#裏垢女子」という名前でパッケージングされたことで、検索しやすくなり、過激な画像に出会いやすくなったのだろう。
視聴者が出会いやすくなったということは、裏垢女子側からいえば、見てもらいやすくなったということである。その分、裸を晒すことのリスクも大きくなったはずだ。

 なお、無修正のオナニー画像・動画をTwitterでアップしたり販売したりするのは、わいせつ物頒布等罪(刑法175条)にあたると思われる。
視聴する個人は罪に問われないのだが、「裏垢女子」が18歳未満である場合は児童ポルノ法に触れるので、ダウンロードしてパソコンに保存しているだけで違法である。
多分、私と同じくらいの世代は、無料で無修正エロ動画を簡単に視聴できる時代に育ったせいで、そのあたりの感覚が麻痺しているのだ。
(だがちなみに、無修正が合法の国に動画サイトのサーバーがあっても、制作側は罪に問われる。井川楊枝『モザイクの向こう側』第7章を参照)。

 裏垢女子の彼女たちには、一応「犯罪だからやめたほうがいいですよ」という、小学生並のことだけは言っておきたい。
けれども、裸を露出すること、自分がヒトとしてではなく性的なモノとして消費されることが時にこの上ない快感であるという点には、共感せざるを得ない。

 そもそも「声が美しい」と「おっぱいがきれい」は、持って生まれた自分の魅力を褒めてもらえるという意味では全く変わらず、「ネイルが可愛い」と「パイパンがそそる」は自分の美への努力を褒めてもらえるという意味では全く変わらない。
それぞれ後者は、より性的であるというだけの違いしかなく、胸や女性器であっても「私の武器だ」「自慢したい」「褒めてもらいたい」という気持ちがあって当然なのだ。

 裸体を晒してでも承認してもらいたい、あるいは法に触れるスリルがあるほど興奮する、という彼女たちを痛々しいと否定することは簡単だが、私にはその気持ちが痛いほどよくわかる。私は裏垢女子を見たとき、「ヤリたい」というよりは「なりたい」と願っている気がするのだ。

 そして、きっとその願望を結実させたのが、「裏垢女子」の対となる「裏垢男子」なのである。