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  • 2017.01.10

俺は「#裏垢女子」になりたい――裸を「見られる」ことの苦しみと愉しみ

AM読者のみなさんは、ツイッターの「裏垢女子」をご存知ですか?現役東大院生の服部さんは、不特定多数の人々に自分の胸や性器の画像・動画を見せる彼女たちを否定するどころか、むしろ深く共感すると言います。裸を見られることには光と影があり、男性たちのなかにはその光に憧れる「裏垢男子」も登場しているようです。

裏垢女子が降ってきた聖夜

服部恵典 東大 院生 ポルノグラフィ 研究
by Stokpic

 セクシュアリティの研究をしているというのに、恥ずかしながら「裏垢女子」という存在を最近になって初めて知った。
私が「裏垢女子」を知ったのはクリスマスのことである。その夜、DMM.R18の検索窓に、私は「Hカップ 素人」と打ち込んでいた。バッカみてえだが、東大院生の私の計算が間違っていなければ、これが最もエロいAVが引っかかるはずの検索ワードなのである。結果、出会ったのが『[速報]めぐたんエロ垢Hカップ』というAVだった。

 そのサンプル動画のテロップには「裏垢:本来のアカウントとは別に設けられる『裏アカウント』を意味して、俗に用いられている語。『垢』は、アカウントを意味するネットスラングに由来する」、「某SNSにて、『裏垢』で検索をかければ、数え切れぬほどの裏垢がヒットし、多くの女性たちがそこで自分のヌードを晒している」とあった。
おいおいマジかと「某SNS」=Twitterで「#裏垢女子」と検索してみると、そこには想像以上の世界が広がっていた。俺にもサンタさんが来た……と思った。

 一度その世界を覗いていただいてからの方が話は分かりやすくなるのだが、気になる方は自己責任で検索していただきたい。手ブラ、セミヌードは序の口で、乳首まで見えた胸の画像や、オナニー中の音声までアップロードされている。それどころか、ヘアヌード画像、性器無修正の放尿動画・オナニー動画が決して珍しくないほどなのである。
ここで言う狭い意味での「裏垢」には、「裏の顔」的な意味合いのほかに、「裏ビデオ」的な意味が香ってくる。

 この「裏垢女子」現象は、自分にとって結構衝撃的だった。
それは、裸の価値のデフレ化を端的に示すと同時に、対となる「裏垢男子」の存在があったからである。

裏垢女子になりたい

 私自身がウォッチングを重ねてきたわけではないので詳しくはないが、当然、Twitter以前から、素人女性がweb上で自分の裸を晒す場として、「おぱーい」を「うp」する2ちゃんねるの女神板、ライブチャットやニコニコ生放送などが存在していた。
だが、「#裏垢女子」でTwitter検索するだけでエロ画像がずらっと出てくるようなお手軽さはなかったはずだ。

 もちろん、Twitterにも「エロ垢」は前からあったが、性器を露出するほど過激だっただろうか。というよりおそらく、「#裏垢女子」という名前でパッケージングされたことで、検索しやすくなり、過激な画像に出会いやすくなったのだろう。
視聴者が出会いやすくなったということは、裏垢女子側からいえば、見てもらいやすくなったということである。その分、裸を晒すことのリスクも大きくなったはずだ。

 なお、無修正のオナニー画像・動画をTwitterでアップしたり販売したりするのは、わいせつ物頒布等罪(刑法175条)にあたると思われる。
視聴する個人は罪に問われないのだが、「裏垢女子」が18歳未満である場合は児童ポルノ法に触れるので、ダウンロードしてパソコンに保存しているだけで違法である。
多分、私と同じくらいの世代は、無料で無修正エロ動画を簡単に視聴できる時代に育ったせいで、そのあたりの感覚が麻痺しているのだ。
(だがちなみに、無修正が合法の国に動画サイトのサーバーがあっても、制作側は罪に問われる。井川楊枝『モザイクの向こう側』第7章を参照)。

 裏垢女子の彼女たちには、一応「犯罪だからやめたほうがいいですよ」という、小学生並のことだけは言っておきたい。
けれども、裸を露出すること、自分がヒトとしてではなく性的なモノとして消費されることが時にこの上ない快感であるという点には、共感せざるを得ない。

 そもそも「声が美しい」と「おっぱいがきれい」は、持って生まれた自分の魅力を褒めてもらえるという意味では全く変わらず、「ネイルが可愛い」と「パイパンがそそる」は自分の美への努力を褒めてもらえるという意味では全く変わらない。
それぞれ後者は、より性的であるというだけの違いしかなく、胸や女性器であっても「私の武器だ」「自慢したい」「褒めてもらいたい」という気持ちがあって当然なのだ。

 裸体を晒してでも承認してもらいたい、あるいは法に触れるスリルがあるほど興奮する、という彼女たちを痛々しいと否定することは簡単だが、私にはその気持ちが痛いほどよくわかる。私は裏垢女子を見たとき、「ヤリたい」というよりは「なりたい」と願っている気がするのだ。

 そして、きっとその願望を結実させたのが、「裏垢女子」の対となる「裏垢男子」なのである。

裏垢男子は身体を手に入れる

 今までの「女神」文化では、男たちはただ「見る」だけの存在だった。金を積んだり、1文字ずつ担当して「おっぱいキボンヌ」を完成させたりする側だった。

 しかし裏垢男子たちは、女性から「見られ」て性的に消費されることを待っている。
しかも、「女性は物語とか関係性がないと、イケメンでも、ちんこだけ見ても、興奮なんてしません!」という言説が世にあるけれども、裏垢男子たちは鎖骨、ペニス、腹筋、手など、パーツへのフェティシズムに応えた自撮りを用意して待っている。
さらに、「#裏垢女子(男子)と繋がりたい」というハッシュタグをお互い用意して、マッチングが成立している(っぽい)というのがすごい。

 外見を見られる、褒められるというのは、一種の気持ち悪さ、中身で評価してもらえない不自由さと表裏一体だ。そしてフェミニズムは、男から女へのその視線の気持ち悪さ、非対称性を問題化してきたし、そのことは全く正しい。私も連載第1回でこれを論じてきた。しかし、男は男で苦しみがある。

 著名なフェミニスト、上野千鶴子はこのことに早くから気付いていた。上野は、身体が主体にとっての客体として発見されるものであるがゆえに、「性別二元制のもとでは女性が過度に客体としての身体へと疎外されるのに対し、男性は自分自身の『身体からの疎外』を経験する」(『差異の政治学』p. 213)と述べている。
簡単に言うと、女性は男性からエロい目で「見られる」存在として自分の肉体を意識せざるをえないという苦しみがあるのに対し、男性はただ「見る」ためだけに存在するあまり誰からも「見て」もらえず、身体感覚がない、自分の身体を愛せないという苦しみがある(あった)のだ。

 だが、「見て」もらえないという男性の状況は、徐々に変わっている(このあたりのことは『ユリイカ 臨時創刊号 イケメン・スタディーズ』にも詳しい)。この時代の変化を反映したのが「裏垢男子」なのだろう。

 上野はもっと昔の本でも「身体の客体化のおかげで身体イメージを獲得できている女と、主体化のおかげで身体イメージが存在しない男と、どちらの方の疎外が深いのか」(上野千鶴子『スカートの下の劇場』p. 165)と問うている。
もちろん、そんなもの比べようがない。だが少なくとも、「裏垢男子」たちは「身体への疎外」の苦しみと引き換えに自分の身体を得ることを選んだ人々であり、私も性的に恵まれた身体を持っていたならば、きっとその道を選んだだろうと思うのだ。
オオアリクイの顔みたいな私の愚息を晒すつもりは今のところないが、万が一、「あれ? こいつ服部じゃね?」という裏垢男子を見つけても、どうかそっとしておいてもらいたい。

 もしくは思い切ってカカオトークでオナ電しましょう。iTunesカード先払いしてくれる人限定、1回3000円です。

Text/服部恵典

次回は <女性向けAVに挑戦した“鬼畜メーカー”の意図――若き日のしみけんと幻の作品>です。
SILK LABOを擁するソフト・オン・デマンドより前にも、女性向けAVに挑戦した有名メーカーがありました。安達かおるが設立し、バクシーシ山下、カンパニー松尾などを育てたV&Rプランニングです。「ヤバい」ドキュメンタリー作品で有名なメーカーがなぜ女性向けAVを…?若い頃のしみけんにも注目です!

童貞の疑問を解決する本

ライタープロフィール

服部恵典
東京大学大学院修士課程。同大学卒業論文では、女性向けアダルト動画について社会学的に論じる。

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