女はポルノを読む

 堀が「ポルノ」という言葉を使わない理由の、残り2つは以下のとおりだ。

①〈ポルノ〉がその言葉の歴史性やイメージから、女性の性的欲望の肯定という意図から離れ、レッテルのはりつけや悪影響を及ぼす恐れがあること
②〈ポルノ〉という言葉に新しい可能性を付加しようとするのか、それとも、名付けることをしないまま「そのもの」を見ようとするのか、ということを考えたときに、名付けることの暴力性に敏感でなくてはならないと思ったこと(p. 4)

 ①は、めちゃくちゃ簡単に言うと、男に「うひー! こいつ、〈ポルノ〉なんて読みやがっていやらしい女だぜ!」と言われるのは不本意だ、ということだと思う。

 ここで対照させたいのが守の『女はポルノを読む』だ。
そう、タイトルは「女“は”ポルノを読む」であって「女“も”ポルノを読む」ではない。
守は、「ええ、ポルノ読みますけど、それが何か?」と堂々と居直るかのようである。

 このタイトルだけでも、「女性“も”性の解放のおかげで男性のみなさまと同じくらいポルノを楽しめるようになりました」という議論でないことが分かる。つまり、「男並み」を目指すのがフェミニズムではないからだ。
そうではなくて、もっと当たり前に存在している「ポルノを消費する女性」を発見しようとしている。このたった1文字の助詞に、静かなこだわりを感じるのである。

 これは②の論点にも通じる。
堀は「ポルノ」という言葉が背負っている不潔で卑猥な先入観が邪魔しないように、「名付けることをしないまま『そのもの』を見ようとする」。
しかし、守はむしろ「ポルノ」という言葉を受け止め、女性が楽しむものとして「〈ポルノ〉という言葉に新しい可能性を付加しようとする」。

 私は、ポルノは『男性のもの』ではないし、男性向けコミックのうちにもポルノと定義できない性的表現を含む作品は少なくないと考えている。また、女性向けポルノコミックと男性向けポルノコミックが異なる価値観によっているとはあまり考えていない。(『女はポルノを読む』p. 23、太字筆者)

 さあ、堀と守の立場を踏まえたうえで、「ポルノ」とは何なのか。女性が楽しむそれは「ポルノ」なのか。
おそらく、これは女性向けポルノを研究し続ける限りずっと悩み続ける問題だ。今すぐ結論は出ない。
だが、正誤とか善悪ではない、ただ好きか嫌いかの次元で直感的に判断するなら、私は守のスタンスのほうが好きである。

 女性の場合、「性的表現」とオナニーが男性ほど結びついていないという堀の指摘はもっともだ。
だが、「オナニーのための道具」として「ポルノ」を定義しないとしても、「ポルノ」という言葉を使い続ける価値はあると思う。私は言葉がもつ下品さ、卑猥さに賭けてみたいのである。

  *  *  *

 ちょっとでもスタンスが違えば、もしかしたらこの連載タイトルは「東大院生の性的表現研究ノート」になっていたかもしれない。
漢字が多くて、ずいぶん堅苦しい響きだ。こちらのタイトルだったら、ここまで連載が続いていたかどうか。

 読者のみなさんのおかげで、「東大院生のポルノグラフィ研究ノート」は、4月5日から約9ヶ月続けてこられた。
ネタ切れと戦いながら、2017年ももう少しがんばる予定なので、どうぞよろしくお願いします。よいお年を。

Text/服部恵典

次回は <俺は「#裏垢女子」になりたい――裸を「見られる」ことの苦しみと愉しみ>です。
AM読者のみなさんは、ツイッターの「裏垢女子」をご存知ですか?服部さんは、不特定多数の人々に自分の胸や性器の画像・動画を見せる彼女たちを否定するどころか、むしろ深く共感すると言います。裸を見られることには光と影があり、男性たちのなかにはその光に憧れる「裏垢男子」も登場しているようです。

前後の連載記事