どこで観るメディアだったのか?
そもそも「AV前史」を語るためには、いったいいつ「AV史」が始まったのか明らかにしなくてはいけないが、これは業界では『ビニ本の女・秘奥覗き』と『OLワレメ白書・熟した秘園』の2作品が発売された1981年5月だとされている。
つまりこの2作品は、フィルム撮りして劇場公開されたピンク映画をテープに焼き直したものではなく、初めてビデオで撮り下ろされた作品=アダルトビデオであったわけだ。
しかしもちろん、81年以前にもビデオテクノロジー自体は存在していた。
そのときからすでにビデオが性的なイメージと結びついていたことを雑誌の分析から明らかにしたのが、溝尻真也「ビデオテクノロジーの歴史的展開にみる技術/空間/セクシュアリティ――1970 年代日本におけるビデオ受容空間とそのイメージの変遷」という論文である。
論文といっても構える必要はない。特に面白いところだけハイライトでご紹介しよう。
この論文によると、1971年に流通していたビデオソフトは、業務用が98%。家庭にはまったく普及なんてしていない。
それなのに、「成人娯楽」カテゴリに属するもの、つまりピンク映画の焼きなおしが60%を占めていた。
では、「業務用」のエロビデオをいったいどこで観るのかというと、モーテルやラブホテルといったカップル向けの商業施設だった。
すなわち当時のエロビデオは、もっぱらカップルがセックスになだれこむにあたっての雰囲気作り、興奮材料として使われていたわけである。
つまり重要なのは、今ではアダルト動画は基本的に一人、個室でこそこそ観るものになっているが、AV誕生以前は、(映画館でなければ)カップルのような親密な関係性のもとで視聴されていたということだ。しかも、オナニーのためのものですらない。
2016年現在と比較した場合、鑑賞方法の乖離だけで十分興味深いが、もっと面白いのはここからだ。
ビデオとセックスの結びつきは、「観る」行為だけが媒介していたのではない。
実は、自分たちで「撮る」メディアとしてもイメージされていたのである。