友情の性的な香り

 私の違和感の根本は、「男女の友情は成立するか」という問いが、いつの間にか「仲の良い男女はセックスせずにいられるか」という問いにすり替わることにある。
セックスと友情は、どちらかを取ればどちらかを失う関係なのか? セックスしても友達でいることは不可能なのか?

 ちょっと考えてみよう。
友情不在論者が言うように、もしも「友情」なるものが、「セックス」という脅威によっていつ崩壊するか分からない脆い存在だとすれば、バイセクシュアル(両性愛者)はどうなるか?
あらゆる人間との間に「友情」を築けないことになる。あーあ。

 それどころではない。
たとえば、男性と性行為をしたことのある男性、「男性間性交渉者(MSM: Men who have sex with men)」の場合。
つまり、ゲイやバイセクシャルではない男性が、なーんかムラッときて男とセックスしたとか、セックスが何なのかよく知らない小さい頃に男の子同士でセックスの真似事をした、というケースを考えてもいい。
MSMはたとえノンケであったとしても、男性とのたった1回のセックスで自らの内に「男とセックスできる俺」を発見し、性別問わず、すべての人間と自分との間にセックスの可能性の影を見て、友情の不可能性に絶望することになるだろう。

 それでも、友情が存在し得ないと言うなら、何とも身勝手な話ではないか。
この残酷な結論にビビって「いやいや、何も『すべての』男女ってのは言いすぎだよ」と批判するのならば、結局「ブサイクだったらヤらねえよ、『女』として見てないからね」と同じ論法である。
「友情が成り立たない人」を「異性」として定義しているのだから、結論を先取りした同語反復であって、「男女の友情は成立しない」のは当然である。それでは、私のような反対派の人間とは議論の成り立ちようがない。

「セックス対象となる性別とのコミュニケーションに本当に性の香りがないか胸に手を当てて考えよ」。
これが、男女の友情不在論が言っていることの内容だ。

 そこで私は、合気道のように、不在論者の攻撃を受け流してそのまま跳ね返す。もっとラディカルに考えよう。
「セックス対象にならないと信じこんでいる性別とのコミュニケーションに本当に性の香りがないか胸に手を当てて考えよ」。
つまり、男女の間に性が香っているとして、君たちが「男の友情」「女の友情」と呼んでいるそのホモソーシャルな関係からも性がぷんぷん匂って仕方がないぞ、というわけである。

 そう、このとき鍵になる概念は、第6回「女性向けAVの3Pと『欲望の三角形』」で論じた、「ホモソーシャル」だ。