ハウツーだけれども鵜呑みにしてはならない

『Body talk lesson for couples』は、カップルで視聴することを想定されているハウツー動画という点がまず興味深いのだが、真に興味深い部分は他にある。

それは、この動画が映像の7分あたりで「世の中のハウツーテクニックに惑わされない」ようにと視聴者に命じる点である。

東大院生のポルノグラフィ研究ノート 服部恵典 東大 院生 東大院生 ポルノグラフィ 研究 『Body talk lesson for couples』

「『世の中のハウツーテクニックは嘘だ』と世の中のハウツーテクニックは言った」

この一文は、哲学や論理学の用語で「クレタ人のパラドックス」などと呼ばれるものの一種だ。

つまり例えば、「この文は偽である」という文が真なら、「この文」は偽だということになり、偽ならばその内容は真ということになり……というように無限に連鎖する。
同様に「この文は偽である」という文が偽なら、「この文」は真ということになり、真ならば内容から偽ということになり……と、この場合も無限に連鎖する。

要するに、「世の中のハウツーテクニック」の一つである『Body talk lesson for couples』が発信した「世の中のハウツーテクニックに惑わされないように」というメッセージは、真であろうと偽であろうと矛盾が生じてしまうのだ。
〈性〉について何が真で何が偽であるかということは、無限の歪みのなかに消えていく。

我々は「正しいセックス」や「最高のセックス」のようなものを学びたいと思って、ハウツーに頼る。しかし、よく考えてみると、そのハウツーは絶対不可侵な「真実」など教えてくれてはいない。
ミシェル・フーコーという哲学者の用語を借りて衒学的に言うならば、視聴者や読者の「知への意志」は、存在するはずもない「真理」を探して空転することになるのである。

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では、ハウツー動画やハウツー記事は、我々を不用意に不安にさせる悪者なのか? 私はそこまでは考えていない。
だがしかし、「ならば、ハウツーとはどう付き合っていけばいいのか?」と聞かれても、正直に言って、私はこの難問に答える準備ができていない。どうか宿題にさせてほしい。

ただひとまず言えるのは、「本物」などどこにもないということの自覚と、自分が信じたいものを信じる自由、この2つのバランスが大事なのだろうということだ。

どうかハウツーに使われずに、自分がハウツーを使うのだと心がけるようにしてほしい。

Text/ 服部恵典

次回は《浮気を肯定する「セックスの天使」――女性向けポルノのパターンとその破れ》です。