「自分が弱いと周りに知られたらいじめられる」

 過酷な思春期をサバイバルするために子供の頃からそれを学んだ。さらに、自信が足りずに周りと違うことは弱さだと思っていた。
20年以上クローゼットの中で生きていれば、自分を隠すのも得意になってしまう。常に周りの目を気にして、流行に合わせて自分を変えて、列からはみ出ないように気をつけていた。
表面ばかり取り繕って、他人を遠ざけるクセができた。そのおかげで、素直に人間関係を育むのがとことん苦手である。クセになってなかなか直らないこの性格に今でも苦労している。幸いなことに、そんな不器用な大人は珍しくないからそこまで浮くこともない。

 人間は孤独な生き物だ。だからって、孤独なまま生きていくのは辛い。
次第に、その孤独を共有し、お互いを支え合えるような人間関係を求めるようになった。
一方で、自分の孤独を共有するという行為は相手に自分の弱点を曝け出すということでもある。それはまさにリスクだ。
そこで裏切られて、鋭いナイフで攻撃されることだってあるかもしれない。
厄介なことに、相手を信頼していればいるほど裏切られたときの痛みも増していく。そんなハイリスクローリターンな人間関係に、自分を全て曝け出すほどの価値はあるのだろうか。そんなことを考え始めると前に進むこともできない。

 結局、不安を抱えつつもリスクを受け入れることにしたのは、それが自分にとって価値があったからだ。
恋人だろうと、友達だろうと、家族だろうと、セフレだろうと、もっと深い人間関係を築くことにした。
そうやって相手を、そして自分自身を、もっと愛せるようになっていきたい。もちろん、その過程で裏切られるのも覚悟している。それでもいい。これは自分のためのギャンブルだから。

Text/キャシー

次回は <狭い箱の中で恋愛する私たち>です。
「理想の恋人」像はいったいどんなものでしょうか?そしてその理想とは、人生のいつごろ形成されたものでしょうか? 思春期だったころとは恋人の理想も違うけれど、白馬の王子様にまだ期待していたりしませんか? LGBTのためのコミュニティサイト「2CHOPO」の記事をご紹介!トロントに暮らすゲイのキャシーさんのセックスや恋愛に関するコラムです。