みなさまこんにちは、みみこです。
前回は、自分の子宮内膜症を夫にカミングアウトしたときの話をしました。今回はカミングアウトシリーズ第三弾として、私が毒親育ちであることを打ち明けたときのことをお話したいと思います。
前回、前々回とタイトルに「カミングアウト」と付けて記事を公開していただいたところ、主にツイッターで「カミングアウトっていうほどのこと言ってなくね?」というご意見をちょいちょい目にしました。
その方々が何の尺度で「カミングアウトっていうほどじゃない」と判断されたのかまじで心底わからないのですが、基本的に「カミングアウト」という言葉を使うか否かはそれをする人が判断することであって、外側からジャッジするものじゃないと思っています。「カミングアウト」という言葉は決してセクシュアリティに関わる打ち明け話にだけ使うわけではありませんし。
なので、今回も「毒親っていうほどじゃなくね?」「カミングアウトっていうほど深刻じゃなくね?」とご意見いただく可能性があったとしても、私は「毒親育ちをカミングアウト」という表現をします。なぜならそれを決められるのは、他ならぬ私だけですので。
思う通りの子でいてほしいと願う母
さて、アルテイシアさんから「ダライラマ夫」というありがたいあだ名を賜ったうちの夫ですので、私が毒親育ちであることをカミングアウトしたからといって「そうは言っても親は親なんだから大事にしなよ」とか「お母さんにもいろいろ事情があったんだから許してあげなよ」とか毒親ポルノ一味みたいなことを言わなかったであろうことは読者の皆さまも想像に難くないと思いますので、今回は先に私の親がどういう種類の毒親であるかということからお話したいと思います。
正直なところ、うちの親の毒加減はわりと大したことないです。命の危険に晒されたことはありませんので。菊池真理子さんの「毒親サバイバル」に登場するような、100人に聞いたら120人が「毒親!!!」と答えるようなインパクトのある毒親ではありません。でも私は、自分の親を毒親だと認識することで少し楽になれたので、誰がなんと言おうと私の親は毒親です。
まずは母について。
母はヒステリーがひどく、ちょっとしたことで泣き喚きます。ちょっとしたこと、と書きましたがそれは基本的に「私のリアクションが母の思い通りでなかった」というものであることがほとんどです。私は常に母の思うとおりであることを要求されながら育ちました。話し方、表情、服装や髪型などの容姿に至るまで、全てです。自分の子供に、自分が思うとおりの良い子であってほしいという願いは当たり前のものであっても、大半の人はそれが不可能であることを知っています。しかし母は、それが不可能であるということがいつまでたっても分からないのです。