町内会の仕事への姿勢の違い
今年度、我が家は団地の自治会役員になってしまった。 もちろん立候補などしたわけではない、誰もやりたがらないので実質1年交代の輪番制である。 当然私もやりたくないのだが、こういった自治体の仕事というのはバカにできない。 都会は、地域の繋がりが希薄なため様々な問題が起きている、と言うが逆に言えば田舎は地域の繋がりが濃厚なためそこで孤立したら即死ということである。
そして田舎ではたまに、地域から孤立した人が、都会でもなかなかお目にかかれない陰惨な事件を起こして、珍しく我が地元が全国ニュースになったりするのである。 つまり「やりたくない」という理由で地域の活動に参加しないのは、周囲含めて「命取り」になりかねない。
町内会の仕事と言ったら、主に女性がやるイメージがあるかもしれないが、最近はそうでもなく、どの家でも夫婦2人でやっているという印象だ。
我が家も当然そうである、むしろ私一人でこんな社会性の強い仕事をやったら、近いうちに私が八つ墓村か、ホアキン・フェニックス版ジョーカーのコスプレで町内を元気に駆け回ることになってしまう。
しかし、二人で手分けして役員の仕事をしていくという方針は一致したが「仕事に対する姿勢」が違ったのである。
役員の仕事もマニュアル化データ化されており、1年間去年と同じことをしていけば良いと私は考えていた。 しかし夫は「こうした方が良くなる」と早速前年データを改造し始めた。 「いらんことは、しない方が良いのでは」
そう言いかけたが、言えなかった。 確かに決して良いシステムと言えないものが惰性で続いていることはよくあるので、どこかで改革は必要である。 しかし改革というのは失敗もつきものであり、失敗すれば「前の方が良かった」「余計なことをするから」という話になってしまう。
よってそのようなリスクを冒すより、たかが1年限りの仕事なのだから「保守」で行くのが最善ではないか、というのが私の考えなのだが、どうやら夫は「過激派」だったようである。
もちろんこのような革新派のおかげで文明は発達したのであり、みんな私のような保守派だったら、今頃旧石器時代どころか人間に進化できていたかさえ怪しい。
しかし新しいことを言い出す奴というのは時に「変人」そして「面倒くさい奴」と思われがちである。 タダでさえ、我が家は「住民を見かけない謎の家」と思われているのに、それが「近所の面倒くさい人」にランクアップの恐れがある。
しかし、それで良い方に変わる場合もあるし、何より「やる気」があるのは良い事であり、それで助かっている面も多い。 町内の仕事を全部丸投げしてくる男よりは5億倍マシだ。
よって私は未だにこの件について何も言えないでいる。
ただ相手が間違っているわけではないので「余計なことをするな」という「否定」から入ってはいけない、ということはわかっている。 「とてもいいアイディアだと思う、がしかし」とまずは相手を認め、自分の意見を言うのがベターだとわかっているが、まずやる気がある人のやる気を諫める行為が正しいのか自分に自信がない。
もし、近いうちに、田舎でジョーカーのコスプレをした中年女が暴れたというニュースを見たら、そういうことだと思って欲しい。 そして、みんなはそういうことが起こる前に、お互いの意見を尊重し、話し合いで解決してくれることを願う。
Text/カレー沢薫
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