いくら言われても聞き飽きない「夫に言われてちょっとうれしかったこと」

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今回のテーマは「夫に言われてちょっとうれしかったこと」だ。

夫婦間で大事なことは、スイートルームの最上階の夜景や、ニチアサの爆発をバックに「愛している」などと囁く「一発逆転」などではなく、日々の感謝と肯定合戦だと言われている。

つまり、何かしてもらった時は逐一「ありがとう」と言い、作ってもらった飯が美味ければ「おいしいね」と褒め、夜のサービスが良ければ「ナイスクンニ」と讃える。
クリック1つで救える命があるように「ありがとう」の一言で防げた離婚もあるのである。

などと偉そうなことを言ったが、夫は私をあまり褒めない、だがこれには深いワケがある。

私には褒めるところがないのだ。

褒めるところがないのに褒めるというのは、これからすごく言いづらいことを言う前だけ思うので、それなら褒められない方がマシである。

逆に夫は褒められるべき部分が多い人なので、私は出来るだけ夫を褒めるようにしている。
しかし、私は元々「他人を褒めたら死ぬ病」なので、人を褒める語彙が2種類ぐらいしかない上、その組み合わせすら間違える。私が夫を「作家の夫などという世界一穀潰しが多い業界(個人の感想)の中で働いていて偉い、と誰かが言っていた」などと褒めると、大体夫は「ディスられた」という顔をするので、褒めない方がマシだったという結果になる。

よって、私たちはあまり褒め合うことはないのだが、その点、お礼とあいさつだけは努めてちゃんと言うようにしている。
これは、夫がもともとお礼をちゃんと言う人なので、私もそれに倣ってそうなったという感じだ。
キレイ好きで几帳面な夫と10年近く暮らしても、キレイ好きになるどころか、汚いもの好きになっていく一方の私だが、この点だけは夫に受けた唯一の良い影響である。

夫がどれだけちゃんとお礼を言うかというと、未だに毎日、食事を出した時「ありがとう」と言うぐらいだ。
私の作る食事と言えば、火が通ってないか腐っているかの二択で有名である。それに対しても謝辞を述べるのだ、一日一万回感謝の正拳突きよりも難しいのではないだろうか。

私の腐っている飯にもお礼を言うぐらいなので、腐ってない上に火まで通っている飯を出してくれる飲食店にも当然退店時「ごちそうさま」と言う。

しかも「ありがとう」は何回聞いても「聞き飽きたわ」とはならないのである。言われると毎回ちゃんと気分が良いのである。

世の中には数々の悪行を「愛している」の一言で大逆転させようとする男もいると言うが、それよりは、口先だけでも毎日ありがとうと言った方が、効果がある気がする。
つまり一生に一度の爆発をバックにした「愛している」より、毎日腐っているものに「ありがとう」と言えということだ。