毒親の送り方①「父、死亡」の知らせが入る/59番目のマリアージュ

三毛猫を抱きしめてうっとりと愛でる女性の画像

 先日、実の父が亡くなった。死因は飛び降り自殺だった。

 その経験を通して学ぶことや思うことがあったので、コラムに書きたいと思う。親が自殺した時の、というと縁起が悪すぎるが、親が死亡した時の参考になれば幸いだ。

 うちの父は毒親だった。「亡くなった親を悪く言うなんて」的な批判も来ると思うが、べつに来てもいいのでどんどん書く。

 父はもともとお坊ちゃん育ちで、親の資産を元手に会社を経営していたが、バブル崩壊によって資金繰りが苦しくなった。

 就職後、私は父に何度も金をむしり取られた。無理やり借金の保証人にさせられたこともある。
28歳で広告会社を退職した後、経済的な不安定な時も金を無心された。「貸さないと自殺する」と脅されて、私はなけなしの100万円を渡した。

「俺が死んだらお前のせいだ」と脅迫する、まさにモラ夫やストーカーの手口である。それがわかっていて金を出したのは、万一にでも父に自殺されたくなかったからだ。
父は私が死のうがどうでもよかったのに。

 「震災とあばずれ番外地の思い出」に書いたが、阪神大震災の数日後、瓦礫だらけの三宮の街でバッタリ父に会った。若い愛人を連れていた父は「なんやお前、生きとったんか!」と言った。それをキッカケに、私はあばずれ街道を爆走することになる。

 その10年後、28歳の時に100万円を渡した時、私は「もう二度と私に関わらないでほしい」と父に告げて、携帯番号も変えた。

 その1年後、私は夫と出会って結婚した。結婚してしばらくした頃、夫と三宮を歩いている時にバッタリ父に会った。神戸の街は狭い。街歩きしやすいので皆さんぜひ観光に来てください。
その時の父のくたびれた服装を見て「商売がうまくいってないんだな」と思った。

 その3年後、33歳の時に母が亡くなった。「VERY妻になりたかった母の死」に書いたが、アル中と拒食症の末に、自宅で死体となって発見されたのだ。

 この時、迷ったが一応父に連絡を入れた。母の死を聞いた父の第一声は「俺は葬式に行かないからな!」だった。続けて「じいさんの遺産相続の権利はお前たちにあるから、いくらあるか調べろよ」と言った。

 それを聞きながら「子どもって切ない生き物だな」と思った。一言ぐらい母の死を悼む言葉を聞けるかもと、私はまだ父に期待していたのだ。

 私は「もう二度と連絡しません」と電話を切った。それが父との最後の会話になった。