ダラ嫁、一念発起で家を買う。—前編—

マイホーム購入の画像 Pixabay

前回のこのコラムでは、世にも恐ろしい「フリーランスの老後のお金」について書きましたが(くわしくはこちらを参照)、なかなか世間一般には「カタギ」と認識していただけないフリーランス、お金にまつわる苦労は多いです。私が若い頃には、フリーでは部屋を借りるのも簡単ではありませんでした。

私が実家を出てはじめて自分の名義で部屋を借りたのは、今からちょうど20年前。実家は横浜なので渋谷や新宿の遊び場までドア・ツー・ドアで1時間もかかりません。なにも無理して一人暮らしなんてするこたない、と今なら思うでしょうが、なんせ時代はサブカル全盛の90年代後半です。とにかく「実家住みなんてありえない!」という空気でした。

当時、私たちを夢中にさせた岡崎京子や魚喃キリコや桜沢エリカの漫画には、都内のアパートかマンションに住んで、イイ感じの男の子たちとハシャいだり痛い目に遭ったりする女の子たちが山ほど出てきて、そこに描かれる夜遊びや恋愛や友情やワンナイトスタンドが、川沿いの貧しい工業地帯で生まれ育った私の目にはそりゃもう眩しく映ったものです。いつかその光の中に私だって入りたい!と憧れました。

何年もバイトしてコツコツ貯めたお金が、ようやく都内の1Rの敷礼と初期費用ぐらいまで達し、キラキラした夢を抱いて不動産屋を訪ねるも、自分には「社会的信用がない」という現実を叩きつけられたのです。

生まれもってのダラ気質のため、「朝起きる・満員電車に乗る・忘れ物をしない」という人間としての最低ラインすら守れなかった私は、会社勤めができず未経験のままフリーランスのライターとなっていました。今思うとすごい。
アシスタントの経験すらないまま、「好きこそものの上手なれ」と勝手に“フリーライター”の名刺を作って会う人会う人に配り、ポツポツとお仕事をもらっていたのです。今思うとすごいというかヤバい。

一日中不動産屋をまわり、気に入った部屋が見つかっても審査で落ち続け、世間知らずだった私はようやくフリーへの風当たりの強さを思い知るのです。
ビックリして知り合いのフリー仲間に聞いて回っても、どんなに稼いでいる人でも、部屋を借りるのには苦労している様子。他にも、国籍や、実家が遠い、などの理由で賃貸を断られる人たちがいることを、そのとき私ははじめて知りました。
そんな差別が、不動産業界では当たり前にまかり通っている、というショックもありましたが、自分が「差別される側の人間」になった、ということにも傷つきました。

途中から私は悪知恵をつけ、入居申込書の勤務先の欄にはレギュラーで仕事をもらっている編集部の電話番号を書き、年収や勤務年数はフリーランスである自分の状況を記入する、というグレーなやり方で部屋を探すようになりました。

あのときの惨めな気持ちは私の中にうっすらと残り、以来、どんなに仕事が上手くいっても「でも、カタギじゃないもん」とどこか冷めた目で自分を見るようになり、いい意味でも悪い意味でもハシャげなくなったのです。