朝ドラ『半分、青い』の秋風羽織先生を見ていて、ふと思い出した。
12年前、拙書『59番目のプロポーズ』は映画化の話が進んでいた。結局いろいろあってぽしゃったのだが、クリエイターのTさんの役はトヨエツが候補だったのだ。
20代の私が夢中になった憧れの彼は、シュッとしたイケメンのイメージだったのだろう。だが実在するTさんは、ずんぐりと小太りの中年男性だった。トヨエツというよりも、大地康雄に近かった。
前回書いたように、私は昔から大地康雄が好みなのだ。
大地康雄っぽいTさんにゴミみたいに捨てられて、私は今でも「カマキリの卵を送りたいな」とアニマルパニックを夢見ている。
フェリシモの通販のように、4月はカマキリの卵、7月はムカデ、10月はコオロギ…と季節の昆虫ギフトをお届けするのも素敵だ。
という話を夫にすると「コオロギはいい声で鳴くから喜ばれるぞ」と言われたが、箱を開けてコオロギがぎっしり詰まっていたら、普通は吐くと思う。
まあそれだけ恨むぐらい、彼にハマっていたのだ。前々回のだめんず沼のコラムで「だめんずにハマる女子は長所につけこまれる」という話を書いた。
「だめんずに騙される女が悪い」とよく言われるが、Tさんに告白された私は「好きな相手を疑うなんて悪い」と思っていた。人を信じる純粋さがあったから、彼の言葉を信じたのだ。
かつ、まともな常識があったから「まさか上司にあたる人間が、部下をセフレ扱いしないだろう」と考えた。
そんな過去の自分をダメだなんて思わない。ダメなのは、信頼を逆手にとって利用した彼の方だろう。
そんなダメさも見えなくなるぐらい、私は彼に夢中だった。それは見た目が好みなのに輪をかけて、中身も好みだったからだ。
Tさんは学生時代に政治活動のリーダーをしていたそうで、「家の前に街宣車がやってきた」などの逸話が知られていた。そういうのを聞いて「なにそれ萌える」とときめいたのだ。昔から「正義のために闘う男」が好きだったから。
当時の私は「そんな彼を支えたい」「人生のパートナーになりたい」と思っていた。
でも相手はそんなこと望んでなかった。彼が欲しかったのは「気軽にセックスや恋愛を楽しめる女」であり、我々は求めるものがまるで違ったのだ。
「双方のニーズのアンマッチですね!」とろくろを回すポーズでTさんの首をへし折りたいが、当時は「彼と別れたら生きていけない…」「彼以外に好きになれる人なんていない…」とガンギマリした表情で呟いていた。
人を狂わせるぐらい、好みとは恐ろしいものなのだ。