無償の愛という名の搾取/ティナ助

老後の生活を心配するフリーランス女性の画像

 「お母さんのせいきゅう書」、という寓話を知っていますか?

 なんでも、小学校の道徳の教科書に載っているそうで、人に感謝する気持ちを持ち、「明るく楽しい家庭を作る」テキストとして広く使われているらしいのです。

 うん、タイトルを目にして嫌な予感がした人も少なくないんじゃないかしら。むしろもう悪い予感しかしないわ。タイトルに「お母さん」って入ってるやつはだいたい地雷。私たちお母さんは経験から知っている。のぶみ(呼び捨て!)の「あたしおかあさんだから」で痛い目にあったのも記憶に新しいんだけど、何かと私たち「お母さん」は、自己犠牲を強いられるのです。

 私たちは、「お母さん」という肩書きを貼り付けられたら、自由な動きを封じられてしまう。キョンシーのお札かよ。

 そして、その自己犠牲は当然のことで、美しいことのように語られてしまう。

 この「お母さんのせいきゅう書」もそんな匂いがプンプンして、もう読む前からお腹を下しそうだったのだけども。しかしながら、授業で使われてるぐらいだから、もしかしたら大人として何か得るものがあるかもしれないから、とりあえず読んでみましょうか。どっこらしょ。

たかしくんはある日曜日の夜、お母さんに1枚の紙を渡しました。

請求書
お手伝い代 200 円

お留守番代 100 円

お掃除代 100 円

買い物代 100 円

合計 500円

お母さんは何も言わず笑ってその紙を見ているだけでした。

翌朝、たかしくんが起きると机の上 500 円と1枚の紙が置いてありました。

請求書

病気になった看病代 0 円

食事代 0円

おやつ代 0円

洋服やくつ代

お世話代 0円

部屋代 0円
合計 0円

そう、紙はお母さんからの請求書だったのです。 それを見たたかしくんは、すぐにお母さんのもとへ行き、ぽろぽろと涙をこぼしながら「この 500 円いらないよ」とお金を返すのでした。

 お、おええええーーーーーーっ。

 なにこれ怖い。たかしくんも怖いしお母さんも怖い。こんなものが「えーはなし」として道徳の授業に使われていることに私はビックリしてしまったのですが、なにが一番怖いって、この短いストーリーで「お金を稼ぐことは悪」という刷り込みがサラッとされてしまっていること。
育ててくれた親に「せいきゅう書」を出すなんてとんでもねーぞ、泣いて詫びろ、と言っちゃってるんですよね。

 んで、トドメには、「お母さん」たるもの、そんな子供の「過ち」を叱らず「何も言わず笑って」、翌日に同じ手法で「あなたを育てることは私の無償の愛。そこにお値段をつけるなんて無粋です」と切り返せ、と。

 何度も言っちゃいますが、これを、小学校の道徳の授業で、教材として使っちゃってるんですよ。いやいやいやいや。ないないないない。