学校の休み時間、もし全員机文庫者だったら孤独を感じたか「孤独を感じる時」/カレー沢薫

今回のテーマは「孤独を感じる時」である。

私は数年前から「孤独死」をテーマにした漫画を描いている。

単行本も出ているので今すぐ買って燃やしてまた買おう、それが終わったらもうブラウザを閉じてもいい、大の大人がネットばかり見ているんじゃない。

孤独死は避けたいという人は多い、だが一方で孤独死ってそんなに悪いことか、という意見もよく聞く。

確かにバイト全員集合総ピースのアットホーム求人ポスターを見て死ぬ俺たちだ。
1人でいる人間というのは大体1人が好きなのである、少なくとも集団には向いていない。
そんな人間が晩年だけ「二世帯住宅で無計画に生み出される孫の世話に追われるのが幸せ」と思うはずがないのだ。

そういうタイプはギリギリまで1人でいたいと思うはずである。
そして希望通りにした結果、ギリギリを見誤って「人型」という枠を超えた斬新な姿で発見されただけなのだ。
その型破りな姿を見た他人がその芸術性にショックを受け「孤独死怖い」と思うだけで、本人が幸か不幸かは全く別の話である。

生物としては、人知れず死んで人知れず土に還る方が多数派なのだ。
もうすぐ死ぬ生物を一家総出で取り囲み、息の根が止まる瞬間まで見守った上、死骸をさらに大人数で取り囲んで埋める方が、習性としてはかなりレアである。

むしろそのレア習性を「人として真っ当な死に方」として定義してしまったがために、そこから外れた者が「孤独死」など「不幸な死」扱いされてしまうとも言える。

よって、死の部分だけ見れば孤独死が悪いとは言い切れない。

確かに後片付けが大変など、他人に迷惑をかける死に方だからよくないとも言えるが、日本は「他人に迷惑をかけてはいけない」という強迫観念が強すぎて家庭内バトルロワイヤルが勃発、国家権力案件となり結局周囲に恐怖を与え多額の税金が使われる事態になることも少なくない。

死ぬまで他人の迷惑にならぬよう孤独死を避け、死んでからも迷惑をかけないように死に支度をするか、ポリ袋(可燃)に入ってから死ね、というのは異常とも言える。

何故先ほどから、自分で描いている漫画を自分で全否定することに全力なのか、自分でもさっぱりわからないが「1人で死んだ」という部分のみを切り取って、悪いこととするのは確かに間違っているのだ。

ただ、死にも過程があり、孤独死をする人は、心身共に疾患を抱え、孤独というより周囲から孤立しているケースが多いのも事実ある。

他人に迷惑云々ではなく、自分のためにそういう晩年を避けたいなら対策はすべきだろう。