家事というマイナス行為をするなら虚空を見つめるという考え方「夫婦と副業」/カレー沢薫

今回のテーマは「夫婦と副業」である。

現在日本は有名企業が今まで禁止だった副業を解禁したりと、国を挙げて副業推進ムードである。
それに加えて国は定年後も働くことを一時期のIQONICか剛力彩芽かというぐらい激推し君中だ。

以上のことを働き方の多様化、年齢問わず社会参加ができる国に、などといい風に言ってはいるが、結局お前らの老後を国が補償することはもうできないから、手前で働けるうちに死ぬほど働いて老後資金を貯めてくれと言っているだけである。

さらに最近「日本人は金に対する意識が低い」という苦言をよく聞くようになった。
その苦言を呈しているのは大体「投資講座」とかで儲けている人たちだったりするのだが、日本の学校教育が「金&セックス!」という、ある意味最も重要なことを「漫画ゴラクがやること」として、むしろ青少年から遠ざけろくに教育してこなかったのも事実である。

その結果、同じ会社に定年まで勤めれば安泰、稼いだ金は銀行に貯金するのが一番、股間をコーラで洗えば解決、という考えの国になってしまった。

現在ではその考えは古いとされ、未だにそういう考えの人間は老後破産予備軍扱いされているが、個人の意識の新旧より、数十年会社に勤めて貯金してたのに破産する国になったことの方がヤバいのである。

一つ覚えの仕事を青っぱなを垂らしながら思考停止で続け、稼いだ金をタンスに入れてニヤニヤしているバカでも野垂れ死なないのが良い国である。
意識が高い人間が勝つのは良いが、低い人間が死ぬ社会は、社会の方が悪い。
それを我々が青っぱな垂らした一万円より500円玉を喜ぶ10円ハゲのバカなせい、というのは責任転嫁である。

しかし、働くのは嫌だが、どうせ働くならより効率よく稼げた方がいいし、働かずに金が増えるに越したことはない、そういう意味で投資など金の知識があった方がいいのも確かである。

しかしこの「どうせ働くなら金が稼げた方がいい」という考え方の人間と、結婚する際は注意が必要である。

どうせ働くなら金になった方が良いということは、逆にいうと「金にならない労働は死んでも嫌」と思っているということである。

労働に対し対価を支払うのは当然だが、結婚には「家事」という目に見える対価が支払われないドでかい仕事(ヤマ)がついて回るものである。