エッセイをやる奴というのはパートナーがどんな奴でも書く「夫はどんな人?」と聞かれた時/カレー沢薫

今回のテーマは「夫はどんな人?」と聞かれた時、である。

聞かれるも何も、どんな人と聞かれてもないのに、夫について語り出し、果ては漫画にしてまで他人に見せてくるのが、エッセイをやる奴、というものだ。

つまり「エッセイをやる奴」とは結婚するな、ということである。

プロはもちろん、最近は「SNSのフォロワーが多い」というだけの一般人でも危険だ、相手は自分が何かトンチキをした瞬間にそれをSNSに晒しバズり終わっているのだ。

しかもそれは本人に無許可の場合が多い、今ここに無許可で10年やっている人間がいるのだから間違いない。

それもまだ「愛すべきクソマヌケ野郎」として書かれている内は良いが、エッセイをやる奴というのは、パートナーが「愛せないモラハラクズ男性器さん」でも書くのだ。

もちろん「自分の夫が人型男根でネタになってラッキー」などと思っているわけではない。だが自分がうっかり人間の男性と間違えて男性器と結婚してしまっていたと判明したら、もうそのおっちょこちょいエピソードを飯のネタにして元を取るしかないと考えるのが、エッセイをやる奴なのだ。

常人であれば、自分が「幸せの絶頂」という顔で海綿体と結婚式を挙げ、棒状のグロい物体を「夫です」と他人に紹介していたなど、一刻も早く忘れたい黒歴史だと思う。

それを「せっかくだから私とおちんちんとの生活を他人の皆さまに笑っていただき、ついでに小銭も得よう」というのがエッセイをやる奴の発想だ。

このように「根がポジティブ過ぎる」のがエッセイをやる奴の特徴なので、そう言った意味ではパートナーとして頼もしいとも言える。

特にネガティブな人は、自分がどれだけ真剣に悩みを吐露しても相手はすぐそれを「私の夫がネガティブ過ぎる件について」というヌルい漫画にしてSNSに投稿するため「こいつの後頭部を鈍器のようなバールで殴って一秒でも早く新しい人生をはじめよう」というポジティブな気持ちが生まれること請け合いである。

しかし、本当に配偶者のキャラクターや言動をそのまま世に出しているエッセイストはプロアマ問わず少数派だと思う。

嘘を書いているというわけではないが、作品として人に見せる以上、より面白くなるように、デフォルメや誇張は必ずと言っていいほどやっている。

もし、そのまま描くだけでバズるような配偶者がいたら、今頃エッセイストに乱獲されて絶滅していると思う。

ネタに恵まれることも重要だが、それを読者に面白く伝える手腕もはやり必要なのだ。

よって、エッセイをやる奴にとって、パートナーをどのように表現するかは非常に重要である。

夫が良い人でもモラハラ野郎でもエッセイ界には需要がある、しかしあまりにも夫を悪辣に描くと「そんな邪知暴虐の棒と結婚したお前が悪い」となり、あまりにも夫を良い人に書くと「何でもしてくれて理解がある彼くんで良かったですね、でお前は何をやっているの?」となり、どちらにしても読者の不興を買ってしまう。

そもそもパートナーのことを書くという時点で「ノロケ」と捉え嫌がる人もいるので、エッセイ界において、パートナーというのは格好のネタでありながら取り扱い注意な代物なので、一切書かない人もいる。

このように、エッセイで食っている人間にとって、夫がどんな人間かをどのように他人に伝えるか、は非常に重要なことである。