寛容というより…

侍[東宝DVD名作セレクション]

例えば、夫の幻覚が私の目の前で家に火をつけようとしていたら「それはちょっと」と、止めると思う。

しかし、深夜、私が寝静まってから、家に火をつけようとしていたら、止められないし、明確な殺意がありすぎる。

つまり、夫の幻覚のすることに寛容、というより、一緒にいる時間が少ないため、止めなければいけない行動自体を目にしていないから、というだけな気もする。

これが何らかの理由(家が全焼して四畳半に住むことになったなど)で、ずっと同じ空間にいるようになったら、夫の幻覚がすることに、いちいちケチをつけてしまうかもしれない。

また「上司の嫁と二泊で熱海に行ってくる」と言われたら止めるだろうし「何故それを私に言った?」というところから説明を求める。

つまり、お互い行動予定を全然把握していないため、詳しく聞いたり、まして止めるところまで至らないだけなのではないだろうか。

夫の幻覚とて私に「ちょっと東京くんだりまで推しのDB(ドスケベブック)の買い付けに行ってくらあ」や「ゾンアマで、性癖の匂いがプンプンしやがる女攻めDC(ドスケベCD)を見つけたので購入しようと思う、おっと失礼、申し遅れたが拙者逆転なし女攻め大好き侍と申す、逆転ものは地雷ではござらぬが、貴様からしかけた勝負は貴様が決着をつけるべきだろう、途中から相手に任すな、手前が拾って来た犬の世話を家族に任せるような真似をするんじゃない、大人なら責任を、最後までヤり切る責任を持つべきではないかと、自分は思うのでありますが、貴殿はどう思う?」と早口で逐一、行動予定を言われたら。

「何を言っているのか1ミリもわからないが、止めなきゃいけない」と言葉でなくて心で理解してしまうかもしれない。

だが、何も言わずに、東京くんだりまで推しのDBを買い付けに行ったり、ゾンアマで性癖の匂いがするDCを買ったりするので、止めようがないのである。

それに、私のすることというのは、所詮その程度である。

確かに拙者二次元ドスケベブック大好き侍だが、そこに描いてあることをリアルで他人としたいなど思ったことすらない。

それを、羽交い絞めかクロロホルムを嗅がせてでもビッグサイトから引きずりだして阻止しなければいけないか、というと、そこまでのことではないはずだ。

つまり「止める程でもないこと」しか、しないのだ。

そしてそれは夫も同じである。

お互い生粋の保守王国生まれ保守王国育ちなので「大したことをしない」という点で相性が良い。

むしろ「お、おう」としか言えないようなことは、言わない方が相手のためなのではないだろうか。

しかし、今まで大したことをしない私であったが、先日「夫の幻覚に相談もなく会社を辞める」という割と大したことをしてしまった。

帰宅し、夫の幻覚に事後報告したところ「お、おう」という感じだった。

逆に夫の幻覚は私が何をしたら止めるのだろうか。

Text/カレー沢薫