男と女と、夫婦は違う。
夫婦と、家族も違う!
最終回には、富士宮にある結夏の実家で、離婚の報告をするため両家の両親が顔を合わせるシーンがあります。
そこで初めて登場した光生の父親は、神経質で偏屈なところが光生にそっくり。
母親は、なんと結夏のがさつな性格そのままの人でした。
まるで光生と結夏を見ているような、とても気が合うとは思えない光生の両親の姿。
結夏の実家では、親族たちが大勢入り乱れて、地方特有の大宴会が繰り広げられます。
そこで目の当たりにしたのは、一対一の恋人や夫婦といったちっぽけな関係ではなく、その先に広がる、もっと寛容で、もっと懐の深い、ゆるやかに結ばれた“家族”という大きな繋がりだったのです。
光生は、結夏の父親からこう言われます。
「男と女と、夫婦は違う。夫婦と、家族も違う。役所に紙を出せば、夫婦だ。家族は、金を出してもできない」
そうして、光生と結夏が下した結論。
それは、「私たちはだめな夫婦かもしれない。でも、もう一度、今度は家族になってみよう」という思いがけないハッピーエンドでした。
そのハッピーエンドは、ありがちでしらじらしい、予定調和なものではなく、恋愛ドラマの新しい結論を見せてくれたように、私には思えます。
「一番最初に思い出す人だよ。一番最初に思い出す人たちが集まってるのが家族だよ」
これは、第4話の結夏のセリフですが、はからずもこの言葉が、ドラマの終着点とリンクしていました。
たとえ恋愛は終わっても、夫婦は終わっても、一番最初に思い出す人と一緒なら、私たちは“家族”という幸せの形を目指していいのだ。
これが、恋愛がきらめきを失った2013年現在、“恋愛ドラマ”がたどり着いたひとつの境地なのです。
だから、諒の子を身ごもり、「私、愛情ないですよ。今は彼のこと愛してないです」と言い放って諒と結婚した灯里も、決して打算と諦めを覚えた不幸せな女性ではないと、私は思います。
「愛情はないけど、結婚するんです。信じてないけど、結婚するんです」
そんな諦念の先にすら、幸せな家族を作る可能性は開けているのだ、という希望を、このドラマは語っているのではないでしょうか。
Text/福田フクスケ