甘えだと思っていた、でも、できなくていいのだ

今、体調が良くない。3月に1日3ステージという狂ったタイムスケジュールで演劇をしていたのが信じられないぐらい、わたしの体は疲れやすく、すぐに心臓がばくばくしてしまうようになった。そして脳の処理能力が落ち、簡単なことも同時並行できなくなった。

だけど、一つのことしかできなくなって、逆にできるようになったこともいくつかある。

まず、仕事の上で、初めて人に頼ることができた。仕事を任すと言うのは権限を与えることなのだと知った。
また、人と接する時に、無理にニコニコしなくてもいいのだと気がつけた。体力がなく笑顔がつくれなくても、周りの人は意外と優しい。

そしてなにより、できないことはできないのだとわかった。

一言で言えば「できないと言うのは全て甘えだ」といわれて育った「過去」をわたしは持っている。

その過去がどんなものだったのかは、5月21日から池袋のBASE THEATERで公演する『向井坂良い子と長い呪いの歌』を観てもらえればと思うのだが。
とにかく今まで、できないことはすべて心の問題だと思っていた。わたしの怠惰だと思っていた。辛いとか痛いとかそういった感覚すらも。本当はありもしないものを、わたしが妄想で生み出しているだけなんだと。
だから今回も、自分の感覚がおかしいのだと思い込んで、体の異変に気がつけなかった。
でも違うのだ。できないことはできないのだ。
みんな勘違いしているのだ。これまでなんとかやってこれたから。あなたならもっともっとやれるでしょう、と。

「無理だ。やれません。」

わたしが何度も演劇のテーマとして描き、かつ向き合おうとしてきた「自己肯定感」という言葉がある。
自己肯定感とは、自分大好き! ということではない。できないわたしでも別にいいや、という感覚だ。
言葉としてはわかっても、ずっと腑に落ちなかった。それが体を壊して初めてわかった。

わたしやれないこと多いけど、いいや、別に。この乱気流の中、生きてるだけで、いいや。

機体の揺れが止まり、シートベルト着用のサインが消えた。ホッと一息ついて、窓の外を見る。
今、書きたいことがたくさんある。つくりたい景色がたくさんある。頭の中にある美しいものたちを舞台の上に表したい。
演劇とは飛行機の窓から見下ろす世界のようなものだ。同じ地面で生きていると、近すぎて見えない大切なことがある。人を愛すること、傷つけること、お互いに理解すること、その難しさや尊さ。刻々と姿を変える、一つとして同じ形のない、美しい人間の営み。
それらを客席から見る。少し高い位置にある客席から眺める。そうして初めてわかることや、そこでしか気づけないことがある。
だから演劇をつくっている。見て欲しいと思っている。

振り返ると後ろに在る、切っても切り離せない過去。これまでのわたし。それとどう闘い、救うか。過去への抵抗を、いま演劇にしている。