君はこの物語のヒロインなのだから
3月の終わりに上演する『永浜』という新作は、フライヤーにでかでかと「地獄に落ちても、人のせいに、するな」と書いてある。これがテーマだ。
しかし、「人のせいにしない」とは、「耐えろ」という意味ではない。それに気づかないヒロインは、耐えに耐える、老婆になるまで耐える。舞台の上で巻き起こるのは地獄の黙示録だ。しかしフィクションではない。かつて多くの女性たちが過ごし、おそらく君たちも通ってきた季節だ。尊重されない環境で、わたしさえ我慢すれば! と思い込んでいた、絶望の季節。
そんな地獄を這いずり回る、Living Deadな精神と肉体からよみがえるために、物語はある。わたしたちが傷つき、倒れ、もう立ち上がれない思った時、物語は力を発揮する。
なぜならわたしたちはどうせ、過去を解釈してしまうから。ただの出来事と出来事をつなぎ合わせて、それらしい一つなぎにしてしまうから。
わたしたちは、人生という名がつけられた、自分だけの物語を持っている。
だから、絶望するな。自分の足で立って歩け。涙をふけ、変われ。
このぬかるみから、なんとしてでも這い出そうともがく君は美しい。
愛されるなんて不安定な受動のために、耐えるな、諦めるな、捨てるな、その座を。君はこの物語のヒロインなのだから。
自分の生き方を決めるのは自分しかいない。使い古された言葉だ。けれど本当にそうだ。君の人生を解釈するのは君しかいない。
かつて読んだ物語を思い出して。苦しい時は、大いに苦しもう。なぜならヒロインはいつも戦うからだ。ヒロインは甘やかされるだけの存在じゃない。観客が息を飲み、心躍らし、勇気付けられる、それがヒロインだったからだ。
恥ずかしがらなくて良い。君はモブじゃない。幸福よりもずっとしあわせな戦いに身を投じろ。めいっぱいヒロインになれ!
君の物語を固唾を飲んで見守る観客もまた、君なのだから。
本当の「自己肯定」とはなんだろう
わたしが新作を作りながら取り組んでいることは、わたしたちの自己肯定感の低さはどうすれば改善できるのか、ということだ。
わたしはわたしでいい、なんて、陳腐なエールは微塵も響かない。その響かなさが、わたしたちを努力に向かわせた。そしてその努力の果てに得られたのは、「自分の努力への肯定感」であり、けして「自分自身への肯定感」ではなかった。本当の自己肯定とはなんだろうか。
この連載ではそういったことをあなたたちと一緒に探って行きたい。それは、大きくわかりやすい答えを掲げるのはもはや古いから、なんてイデオロギーからではない。書き手のわたしすらまだ見えぬ、人生の解釈の輪郭を、共につくってもらいたいからだ。
あまりに自分に近いものを題材にすると、語りたいことが多すぎて息ができないということに気がついた。締め切りを大幅にオーバーしながら、もっとシンプルに、もっと激しく、もっと楽しく書けるようにと、この連載をはじめる。
愛されるために生まれてきたのではないわたしと、君へ。
物語はわたしたちを、ここではないどこかへ連れて行ってくれる。
もう一度歩き出せるように。
今はできないことを、いつかできるようになるために。
わたしたちが、その美しい足でまっすぐに走ってゆけるように。
物語は間違いなく、わたしたちのためにある。
Text/葭本未織
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