常に笑ってた。周りに人もいた。でも、同窓会には二度と行かないと思う

同窓会のお知らせを無視してしまった

同窓会で乾杯する人たちの画像 Pixabay

この時期になると、いつも行かなかった同窓会のことを思い出す。ちょうど、今くらいの時期だった。私たちが大学を卒業する手前の寒い季節に、「みんなが社会人になってしまう前に、一度集まりましょう」という連絡が高校の同級生から来ていた。そして、その何度かあった連絡を、私はことごとく無視してしまっていた。

連絡がきた瞬間、咄嗟に「絶対、行きたくない」と思っていたのに、「用事があるから行けない」と嘘をつくのもなんとなくはばかられた。大学で授業を受けているときとかバイト先での休憩時間とか、そういうふと思考回路に隙間ができるときに同窓会の連絡が来ていたことを思い出し、どんな返事をすれば自然に断ることができるのか考えているうちに、気が付けば当日になってしまった。

私は、地元に友だちがひとりもいない。高校の頃の同級生も時が経つのと同じスピードで会わなくなり、連絡を取ることもなくなっていった。
高校時代をさほど楽しめなかった私には、同窓会に行く意味が見いだせなかった。あの頃の人達と集まっても、華が咲くような思い出話も、聞いているだけで恥ずかしくなるような甘酸っぱい恋の話も、私にはない。あの場所に顔を出したとしても、やっぱり場の空気に馴染むことができず、でも同級生で集まれたことそのものにしっくりこない妙な満足感を覚えて、きっと帰るんだろう。
大した話もしていないし、どうせ連絡すらも取り合わないくせに、社交辞令で「また、みんなで集まりたいね」と言い合ったりするんだろうか。きっとそうだ。無理しちゃって馬鹿みたいだ。

私は高校生だった頃も、ずっとひとりだったように思う。化粧とショッピングとジルスチュアートとリズリサとディズニーが好きで、男の人に選ばれることが幸せだと考えているようなクラスメイトの中で、ずっとひとりだった。
人と仲良くなるのは得意で、自分から駆け寄ることをしなくても、常に周囲に人はいた。お昼の時間はみんなで机をくっつけてお弁当を食べていたし、行事もそれなりに輪の中に入り、高校生らしい毎日を送れていた。みんな、私の話に笑ってくれたし、仲間外れにされることも無視されることもなかった。だから、きっと嫌われていたことはなかった、と思う。