食べて、寝て、ぼーっとする。そんな“正しい”年末年始は耐えられない

何もない年末年始は、どうしても耐えられない

初日の出を見る女性の写真 Enrico Perini

またひとつ、年が明けた。仕事や学校が始まって、ひとしきりの「明けましておめでとう」と「今年もよろしくお願いします」を言い終えてしまえば、年末年始のなんだか落ち着かない雰囲気も過ぎ、普通の1月が来る。

私がこの原稿を書いているのは、まだ2017年の出来事で、今年の年越しは台湾の台北で過ごすことになっている。今のところ、台湾に行くこと以外は決まっていない。きっと、直前まで決まらないのだろうと思う。
日本ではない、私のことを知っている人が誰もいないところに行きたかった。インターネットを開くと、友達もそうじゃない人も、みんな誰かと楽しそうに2018年を迎えている。その光景を画面上で見ながら、いつもと変わらない時間をひとりで過ごすことに耐えられそうもなかったから、という思いも少しあった気がする。

実は去年、つまり2016年のことだが、久々に何もない年末年始を過ごした。
私は元々音楽が好きで、毎年のようにカウントダウンのフェスやライブに足を運び、音楽と友だちと共に年を明かす。そして、ごくたまに年末年始を海外で過ごすこともあって、ここ10年くらいは常にどこかへ赴き、年を越すというのが自分の中で定番になっていた。そんな定番を打ち破り、久しぶりの寝正月を過ごしていた。

本当に、10年ぶりくらいだった。何もない年末年始はただただ退屈で、食べて犬をなでながらテレビを見て、寝る、という日を何日も過ごしていた。
誰かを誘ってみてもよかったかもしれない。けれど、年末年始の時期に、普段と変わらない感じで友だちをどこかに呼び出してしまうのもはばかられる。こういうダラダラとした、何もない年末年始が正しい過ごし方のはずだった。でも、私には合わない。久しぶりの正しい年末年始は私にとって耐えられなかった。だから、今年は絶対にどこかへ行こうと決めていたのだった。