貧しい暮らしだが、太陽がある。裕福に暮らせるが、太陽がない。この2つから選択するとしたら、どちらにする?
正直、私なら後者を選んでしまう。(大体普段から昼夜逆転してるし…)なんて個人的な事情は置いといて、お金に困ることなく生きるための環境が整った暮らしがあれば、太陽なんて要らない。
だけど、本作はそうさせない。太陽とそう簡単に縁を切れない。そこに人と人との絆がある限り、真の豊かさとは何かを訴えかけてくる。
原作は2011年に劇団イキウメによって上演された劇作家・演出家の前川知大による同名舞台。この普遍的なテーマに内包された斬新さと面白さに惚れ込み、映画化を熱望したのは『SR サイタマノラッパー』シリーズや『ジョーカー・ゲーム』で知られる入江悠監督。
『桐島、部活やめるってよ』『バクマン。』など話題作の出演が続く神木隆之介、『愛の渦』で一躍注目を浴びた期待の実力派女優の門脇麦が太陽の下で暮らすキュリオを演じ、古川雄輝、古館寛治、綾田俊樹、水田航生、村上淳といった個性豊かな面々が名を連ねている。
荒唐無稽のようで“人間らしさ”に満ち溢れた世界観
人類が昼と夜で分けられるなんて。トンデモSF設定を荒唐無稽に思うかもしれないが、これは紛れもなく“人間らしさ”を描いた作品。土の臭いや人肌の温もりから、ファンタジーとはかけ離れた生々しさで攻めてくる。
旧人類・キュリオは太陽の下でいわゆる“人間らしい”生活を送っているが、新人類・ノクスもまたエネルギーに頼って暮らす現代に生きる我々の写し鏡のようになっている。
現実味がないようで、どちらも今我々が生きているこの世界を真正面から描いているような感触に気づく。
その感触をより強めるのは、作品で描かれる2つの関係性だ。それは草一と結の「父と娘」の物語、鉄彦と森繁の「キュリオとノクス」の物語。
草一は不器用ながらも結に愛情を注ごうとする。娘の幸せを願うがあまり、結がキュリオで居続けることに激しく葛藤する。それはまるで子離れできない父のように、はたまた嫁がせる父のようにさえ見える。
一方で、鉄彦と森繁は友情を育み、ともに日本中を旅する計画を立てる。分断されていたキュリオとノクス同士が心を通わせることに、不明瞭な未来に希望を見出させてくれる。
それぞれの関係性は、血の通う人間なら誰もが無視できない。彼らを軸として、家族の物語と青春ドラマを何度も行き来する。その2つが交わり昼と夜が一つになる時に、物語は急速に変化していく。
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