死んだはずの妻の存在感たるや。
「死んだはずの妻がいつも傍にいる」なんて聞くと、優しく見守ってくれているとか、いつまでも心はここにあるよとか、陳腐なラブストーリーに思えるかも知れない。
しかし、今作は、死んだ妻がやたらとうるさい。自分の死を少しでも美談に書いてもらおうと茶々を入れ、生前以上に存在感を放っている。
「そこじゃなくて、ここを書けよ!」と口うるさく叱責されながらも、旦那は二人の出会いから別れまで回想していくことで、ユーコではなく自分自身と向き合っていくことになる。
(c)2015 川崎フーフ・小学館/「夫婦フーフー日記」製作委員会
“泣ける”要素が詰まっているのに、永作博美が演じるキャラクターがなかなか泣かせない。お酒を飲めば悪酔いし、ロマンチックな場面でいつもお茶を濁してくる。面倒くさいが憎めないヨメのせいでいつの間にか笑いに溢れて、よくある難病モノのラブストーリーとは全く真逆の色を塗る。
しかし、だからこそ彼女がすでに死んでいるという事実が喪失感を与える。言ってしまえば、コウタは独り言を呟いているようなもんだ。
その悲しみにふと気づく瞬間があり、思わず虚空を見つめてしまうような味わいを残す。