終わった男と、始まってもいない女が出会う
絶望を感じた時、どうすれば気が紛れるのか。食べれないなら眠る。眠れないならお酒。では、お酒が飲めないなら?
グレタには幸運にも歌があった。ダンにも歌を愛する心があった。
オープニングは、人生を一度終わらせた男と、一歩も踏み出せなかった女がライブハウスで偶然出会うシーン。
そこに至るまでの互いのストーリーはその後に一つずつ丁寧に描かれる。
なぜグレタの歌が悲しくて、それを聴くダンの心に響いたのか。
結末を見せてから過程を描く手法は、オープニングで鳴り響くグレタの歌をより切実に感じられる。
恋人と別れたグレタの歌が、家族が崩壊しかけた男の心に響くのだから、二人の出会いに奇跡を感じずにはいられません。
ふと流れる歌に共感し、それに心を寄り添うことなんて珍しくない。それがニューヨークでもライブハウスでもなく、世界中の至る所で“感動”が誕生している瞬間は劇的。
数多くのアーティストを手がけてきたダンの目に、グレタのステージにいないはずのバンドメンバーが見えるシーンは必見です。
音楽は人と人を出会わせてしまう
グレタの悲しみが歌に命を吹き込み、その歌を聴く人の悲しみを癒す。その証拠に、一度見失いかけていたダンに命を吹き込んだ。
最初は性格の不一致で噛み合わなかった二人も次第に打ち解けていき、二人三脚で音楽を作り出す姿は見ていて気持ちが熱くなる。
レコーディングがニューヨークの街角で行われることで、“音楽”により普遍的な意味をもたらす。雑踏と雑音に埋もれながら懸命に奏でられる音こそが、まるでグレタとダンの生き様に見えてくる。
この作品は言ってしまえば地味で、その人間模様はさりげない。でも、“音楽”の重要な姿を映し出しているのです。
“ノー・ミュージック・ノー・ライフ”といえど、音楽が無くても衣食住に困るわけでもない。とはいえ、まず音楽は人と人を出会わせる。それが上手くいけば、親友にも恋人にも、夫婦にもさせてしまう。
誰かにとってただの騒音になっても、また別の誰かにとっての救いの手にもなる。外から内から“音楽”の魅力を描き出す。演じる方も感じる方も、どちらも足並み合わせて再生していく様は歌の説得力に満ち溢れています。
孤独が新たなストーリーを作り出すのなら、今感じている孤独も悪くないって思える。そんな希望を感じさせてくれる映画には、優しいクライマックスが待ち構えています。